ことば2~5年(2016/6/22)

福西です。

五月雨を あつめて早し 最上川
芭蕉

青梅に 手をかけて寝る 蛙かな
一茶

五月雨は、むかし(暦が今とは2か月ずれていた頃)の「梅雨」のこと。青梅は「あおうめ」と読みます。

『基本季語五百選』(山本健吉、講談社学術文庫)の「青梅」の項を引くと、「五月雨の候に黄熟するので、梅雨(ばいう)という」とあります。

つまり、「梅雨」という呼び方は、梅の実が、緑から黄に変わる頃に降る雨だからだそうです。

 

山の学校の向かいに梅の実がなっています。六月に入ったばかりの頃は、まだ固くて緑色だったのですが、今ではもうすっかり黄色くなって、ぽとぽとと石段を転がり落ちるようになりました。今この時がまさしく「梅の雨」なのだなと感じます。

その梅の木を見るついでに、外に俳句作りに出かけました。

 

あじさいは きれいにだけど 中は虫 Rin

目の中に 雨水はいり 目ぐすりだ  Yu

すずめがね いそいでかえる じぶんのす Tomoya

 

それぞれ今の情景を、五七五にとらえてくれました。最後のT君の句は、雨が降ってきたことを暗喩しています。

 

教室では、『おそらにはてはあるの?』(佐治晴夫/文、井沢洋二/絵、玉川大学出版部)を読みました。

hate

「どうして夜は暗いのか?」という疑問から出発して、オルバースのパラドクスというものをかいつまんで説明した絵本です。

先週、「矛盾」の故事成語を、漫画で紹介したので、今回は文章で読みました。(>矛盾

『韓非子』の難一にある文章です。

高校で習った時には私も知らなかったのですが、原文では、堯と舜(儒者が大事に思っている古代の聖王)の両方を同時にほめることには矛盾があるという、儒者批判の内容となっています。

ちなみに原文は、いつもこちらを閲覧させていただいています。

『中國哲學書電子化計劃』(中国哲学書電子化計画)>韓非子

 

Rちゃんが今日の印象を俳句にしていました。

うちゅうは、 はてはあるかな わからない Rin

Rちゃんが大きな疑問に対して、すぐわかったとしないところに、私も共感します。「?」を縦軸、「時間」を横軸にして、疑問を面積的に保持し続けてほしいと思います。