ことば2~4年(2016/3/9)

福西です。

最終回は、かるた大会をしました。このごろは、私だけでなく生徒たちも一緒に、順番で読手を回しています。札を読むこと自体、非常に勉強になる(歌に近づく)ということを改めて知りました。見よう見まねで節もつけて読んでくれています。何事の真似から入る時の新鮮なドキドキは大切だと感じます。

M君・Sちゃんチーム対Hちゃん・私チームでしました。競技かるたのルールで、7枚差でM&Sちゃんチームの勝ちでした。

私とチームを組んだHちゃんは、札を並べる時はいつも、いの一番に「『いのち』はどこにある?」と探します。右近の「忘らるる身をば思はず誓ひてし」の下の句、「ひとのいのちのをしくもあるかな」です。それをいつも自分の手元に引き寄せています。この日はHちゃんがそれを取り、H&私のチームの士気が高揚しました。

また、Hちゃんの得意札には、「風そよぐならの小川の夕暮は みそぎぞ夏のしるしなりける」があります。お習字で書いたことがあるそうです。今日も、「お習字でお手本がどこかへいった時、自分は覚えていたので書けた」と言っていました。そうやって、何気ないところから、なじみというものは増えていくのだなと思いました。

Hちゃんがいつも持ってきてくれている百人一首の本が、今後もまた活躍しますように。

そう言えば、この日は、Sちゃんが奈良の竜田川に行った時の写真を見せてくれました。歌を、歌われたその土地自体で感じることができるなんて、とても素敵なことだと思います。折に触れて、大人になってからもその心象風景を重ねていってくれることを願っています。

百人一首には竜田川を詠んだものが二首あります。「ちはやぶる」と「あらしふく」です。その二首ともSちゃんのチームが取っていました。とりわけ「あらしふく」を、私は取られまいと徹底マークしていたのですが、いざそれの一字目が読まれた瞬間、Sちゃんの体が前に飛び出してきました。気迫を感じました。Sちゃんの取りの見事さをたたえる気持ちと、取られて悔しいと思う気持ち、その両方が、私の中で入り混じりました。

Sちゃんの取り札は、ある時期を境に、ぐんと増えたように思います。ひとえにお家の方が快く付き合ってくださったおかげです。

M君は、お家の応援もさることながら、独自の研究の末に、札をほとんど覚えるまでになりました。「わたのはら」(大山札の二首)は、M君の名前に縁があります。その札を私はこの日も取ることができませんでした。ついぞ、M君からは一度もそれを取れたことがなかったのだなあと、しみじみ思い至りました。(他にもそういう札がいくつもあって、ここにはすぐに書き出せないぐらいです)。

どのクラスもそうなのですが、むしろ私の方が多くを教わった、有り難いクラスでした。

みなさんが、新しい学年へと、ますます雄飛されることを願っています。

──われても末にあわむとぞ思ふ(崇徳院)

*元は恋の歌ですけれど、ご愛嬌^^