キケローを読む

山下です。
キケローの『アルキアース弁護』を読んでいます。
先週お休みのS君が来て、先週出席されたKさんがお休みされました。よって、先週読んだ範囲について、再度読み直しました。私にとっては復習の時間となりました。以下は内容についてのメモ。

doctrina(文学的教養)は、過去の先例(exempla)を現代に伝える上で大切。文学なしに、過去の活動は現代に伝わらないから。その先例とは、英雄の活躍の実例であり、res publica に最も寄与する行為と言い換えられる。よって、doctrina は机上の空論でなく、人が社会的存在として立派に生きる上で大事な力を与える。なるほど、doctorina なしにも生まれつきの才能(natura と表現される)があれば英雄になる可能性はより高いだろう、natura がなく doctrina がある場合に比べて。だが、doctrina が natura に付与された場合が最高である。けっして doctrina が不要ということにはならない。

キケローはアルキアースを弁護する法廷に於いて、このような文学擁護論を展開していますが、アルキアース=doctrina という形で、結局は文学の価値を最高に賞賛することによって、アルキアースを賞賛し、擁護する作戦に出ているわけです。また、自分こそ、doctrina を身につけた natura あふれる最高の政治家、弁論家として、その生きたエクセンプルムである、俺を見ろ!と主張しているようです。