0305 山の学校ゼミ(倫理)

浅野です。

 

日蓮の『立正安国論』を読み、日本仏教には一区切りをつけてから、同時代の中国に目を転じて朱子学に進みました。

 

『立正安国論』は時の権力者への直訴という形式からしても、また一闡提(仏教を誹謗する人)は殺しても罪にならないと主張する内容からしても過激です。震災や飢饉などで民衆が疲弊しているのに僧侶が権力と結びついて腐敗しているという当時の状況を考慮し、また後の箇所を読むと一闡提を殺せとまでは言っておらず布施をするなと言っているだけだということも考慮すると、過激とはいっても十分に理解可能です。

 

仏教は中国でも盛んになっていて、それに危機感を覚えて儒教の再興を図ったのが朱子(朱熹)です。彼自身が若い頃は禅をしていたが、儒教の聖人の書物を読んでそちらのほうがよいと思ったという経緯があります。

 

『大学』を重視して彼なりに編集し直したのが大きな業績だとされていて、それが江戸時代から第二次世界大戦前までの日本でも大きな影響力を持っていました。戦後民主主義的な視点からは、『大学』に見られるような儒教的な思想を政府が利用して第二次世界大戦に突入したと言われることもあります。本文を読むと確かにそのように読める部分があります。私(個人)よりも家を重視する、国を治めるのと家を治めるのと自身を治めるのが重層的に重ね合わされる部分などです。

 

この日に取り上げたものはいずれも感情的な議論にもなりやすいところですが、少なくとも本文を見ておくことは大前提になるでしょう。