てんびん算あれこれ

福西です。

最近、以下のような天秤の問題をはじめています。

AB     C
—-  △  —-  …1)
  
B     AA
—-  △  —-  …2)

ABC   18g
—-  △  —-  …3)

一見すれば連立方程式で解いた方がいいように思える問題ですが、むしろ「解ける」ことに重点を置くのではなく、解く過程を見るためのものです。

かず5・6年のクラスで上と同じ問題を出してみたところ、6年生のN君は次のように解いていました。

N君はしばらくの間、じっと問題を眺め、そのうちに1)と3)の天秤の類似に気付きます。

つまり、こうです。

1)の天秤には、左にABが乗っています。
3)の天秤には、左にABCが乗っています。

ここでN君がひらめいたのは、3)のABCのABを、1)の天秤で翻訳するというアイデアでした。

そうすると、1番目の天秤よりAB=Cなのだから、3番目の天秤は

CC=18

と翻訳されます。すると、C=9であることが出てきます。

これを使って、また1)の天秤を見てみると、AB=9と分かります。

そして、2)の天秤でBはAの2倍であることが読み取れるので、AB=9はAAA=9と翻訳できます。これで、A=9÷3=3と分かりました。

あとは、2)の天秤より、B=3×2=6と分かります。

N君はこのようにして解いたわけですが、3つの天秤のどれを主役にし、またそのどの組み合わせで自分は解くのか、選び方は人それぞれ出てきます。またおもりを消す代入法の他に、同じ重さのおもりを両側に乗せたり(加減法)、天秤ごと重ね合わせたりする方法も考えられます。さらに、最初の時点では適当におもりの重さを決めて、後で1gずつ調整して真値に近づけていくという方法も取れます(数値計算がこれです)。そのような個々の生徒の思考を見ることが、こうした問題をすることの目的です。

目的といえば、よく「つるかめ算」が、連立方程式(行列)という道具があるにも関わらず、なぜわざわざ小学校で教えるのか、その意義を疑問視されることがあります。昔は私もさほどつるかめ算には意義が無いように思っていました。けれども今は少し考えが違ってきて、もし解けることよりも解く過程を見るためであれば、つるかめ算にも意義は十分にあるだろうと考えています。たとえば無人島で生活する時、自分で必要な道具を作れるかどうか、という力を見る点にあるならば。

しかしそうは言っても、つるかめ算(特に受験対策に強いられる場合)は結局のところ「かめを全部つるにする」といった解き方を知ってしまえば、それ1つに解き方が集約されてしまいます。つまりそれは解き方の練習であって、道具を自前で作ることでなく、その使い方に終始してしまいます。使い方(技術)の話であれば、もっと便利な道具(連立方程式、さらには行列)を使えた方がいいことになって、道具の新旧の話になってしまいます。(そこに話の重点を置くせいで、つるかめ算の必要性云々が出てくるのだと思います。そうではなく、つるかめ算の意義は、都会の喧騒(受験対策?)とは隔絶したところで、あたかも無人島にいるかのように「純粋思考」を楽しめる点にあるはずだ、と私は思います。)

対して「てんびん算」はビジュアルからして解き方に一通りを強いるイメージが薄く、割と広い年齢層に対応した「パズル」であるので導入しようと考えた次第です。(てんびんを1つにすれば1年生にも足し算・引き算の教材として出せます。)

特に、「1個、2個…」と数えたり、決まって整数解が出てくるところが数論(=整数論)のセンスを磨くことにもなり、一石二鳥であろうと期待しています。