詩の朗唱

四月から始まる広川先生のホメーロスのクラスのことを考えながら、「詩の朗唱」の大切さに思いをはせておりました。グーグルで「詩の朗唱」を検索すると、次のページが一番に表示されました。

http://www.ne.jp/asahi/harada/latin/poet1.html 「詩の朗唱について」(原田裕司)

この中で、次のようなことが言われています。

詩の朗読をないがしろにするこの傾向の原因は、いったいどこにあるのでしょうか。その原因の一つは、学校の語学の授業において、美しい詩や散文を美しく朗読することの意味や喜びがあまりにもなおざりにされていることではないでしょうか。私達語学の教師が、美しい詩文を美しく朗読することによって学生達の心を魅了し、学生達自らがそのような詩文の朗読を心から楽しむようになる、そんな授業がもっとあってもよいのではないでしょうか。機械を使った授業がますますさかんになる今日では、逆に、教師と学生という生身の人間同士のぶつかりあいが、朗読という古くて新しい言語体験を通じて、いっそう求められるのではないでしょうか。また詩などの文学作品についての単なる研究発表だけではなく、詩そのものを朗読する会も、もっと催されてよいのではないでしょうか。

(これを読んで思わず、EST, EST, EST と三唱したくなります)

山びこ通信の最新号をお読みいただくと、広川先生がウェルギリウスのクラスでこのような授業を展開されていることがわかります。

また、このブログを読まれている方には明らかですが、小学校の「ことば」のクラスでは、高木先生が毎回さまざまな詩を子どもたちと一緒に朗読してこられました。

上に紹介したHPのエッセイは、私たちの活動に大きな励ましを与えてくれるものとして、ありがたく読ませていただきました。