かず5~6年(0418)

福西です。このクラスでは、前半に個々にドリルをし、後半にみんなで考えるパズルをしようと考えています。

初日はそのガイダンスとして、「忍者の比喩」を話しました。忍者がなぜ人並み外れたジャンプ力を誇るか、その修行法というのが、「一粒の種を植えて、毎日その上を跳ぶ」というものです。

最初芽が出たうちは跳び越すのは楽勝です。そしてだんだん伸びていく芽を跳び越えているうちに、いつかその植物と同じ高さまでジャンプができるようになる、という、たとえ話です。(もちろん人間の脚力には限界があります)。

ですが大事なことは、「毎日欠かさずにすることが、知らぬ間に自信をつける源になる」、逆に言えば、「最初のうちを簡単だと思って手を抜き始めると、いつかどこかの時点でびっくりするはめになる」ということです。確か元ネタは『ドラえもん』だったように記憶していますが、小学生の私は「なるほど」と思ったのを覚えています。

そんなわけで、クラスでもそれを説き、「焦らずに、ドリルを1年生からしていって、今の学年のしているところまで積んでいこう」という方向を共有しました。

1年生はある意味、あっという間にできてしまいます。そこを完全に踏み固めて、もう戻って来なくてもいいという手ごたえを(過去の記憶ではなくて)今の記憶として得られるなら、その手間は安いものだと思います。たとえるなら、ウィルスチェックの「フルスキャン」をかけるような作業です。このあと、2年、3年(計算、文章題)と上がっていき、「自分はどこからやり残しを持っているか」を見つけることとなります。それは、当時それを習ったばかりの頃とは違って、「なんだ、こんな簡単なことだったんだ」とより思ってもらいやすいことでしょう。それを見つけて潰していくことは、むしろチャンスだと思ってもらえたらうれしいです。

ある生徒が、「簡単やったら、それだけ速くすればいいんや」と言っていました。また、「正確さと速さとどちらが大事かと言えば、まずは正確さかな」と私が言うと、これも生徒の一人が「正確で、しかも速くできればもっといい」と言っていました。その意気込みやよし、です。

次に、「理詰めで考える」ということ(パズル)に関して、『おそらにはてはあるの?』(佐治晴夫/文、井沢洋二/絵、玉川大学出版部)という絵本を読みました。
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内容は、「宇宙は無限か有限か?」という問いに対する、「オルバースのパラドックス」という有名な解釈の一つを扱ったものです。

「仮にもし宇宙が無限の広がりだったとする」
→「ただし星の散らばり具合はその宇宙の無限の広がりに対して均一だとする」
→「宇宙が無限の広がりなら、その中に星は無限個存在することになる」
→「光は(時間はかかっても)無限の距離まで届くのだから、星と星の間に無限に遠くの星から届いた光が見えるはず」
→「そうやってすきまの狭くなった光と光の間にも、また無限の果てから光が届いて見えることになる」
→「結局無限の果てから届く光で、すきまはすべて埋まり、昼間のように眩しくなる」
→「しかし実際に夜空を見上げると、そのようなことは確認できない」
→「矛盾」
→「つまり、最初の仮定が間違っていることになる」
→「だから、宇宙は有限である」

これは「背理法」と呼ばれるロジックです。このような「理詰めで考えること」を、パズルを通してみんなでわいわい言いながら鍛えようというのが、後半時間の方針です。(ドリルが前半時間)。パズルは、ドリルよりも、もっと純粋に「考えることそれ自体」に直接触れるものです。そして「考えること=面白い」と感じる体験が少しでも多いことは、数学に対してもそう悪い影響はないだろうと考えています。

というわけで、最後の時間は、『algo』をしました。Iちゃん以外は全員「algoはほとんど初めて」ということだったので、新鮮でした。6人で雪の結晶状に座り、向かい合わせが1チームとなってしました。(ルールでは4人までですが、カードを1人4枚にすれば6人でもできます)。全員が「これ、結構面白い!」と口々に言ってくれてよかったです。

まとめとして、このクラスでは、「自分の中の積み残しの意識を解消する」ことと、「考えることそれ自体を純粋に楽しむ」ことをしていきます。前者にはドリルをし、後者にはパズルをして、1年間それを積み重ねてしていこうと考えています。今後ともよろしくお願いいたします。