12/9 ことば4年生(A)

高木です。

今日朗読した詩は、佐藤義美(よしみ)の『おぼえてる』でした。

  川べりの
  草道の
  草の匂をおぼえてる

  草の上まで
  水がきて
  川いっぱいの朝の陽も

  水を離れた
  水雉子(みずきじ)が
  お空にあがる時の虹

  肢(あし)のあいだの
  ちいさい虹を
  私は今でもおぼえてる

「『虹』は水雉子の羽の色や」とT君は言いました。
 虹は空中の水滴に光が屈折することで生まれます。水雉子の肢のあいだの小さい虹は、飛び立つときの水しぶきによって生まれたものでしょう。
 でも私は、水雉子の羽が虹色に見えるというT君の言葉も素敵だと思いました。それは詩には書かれていないし、実際理屈も通りませんが、そのぶん詩的だと思います。

 M君は「相棒」という言葉が好きなのだそうです(好きなテレビドラマのタイトルだそうです)。「想」という漢字の成り立ちを知るために、まず「相」について学んでいると、その「相棒」という言葉まで含み込むような成り立ちが潜んでいることが分かりました
「相」は、「木」を「目」で見ている形です。自然(「木」)を見ることで、その生命力を自分に取り込むという考え方がかつてありました。それは自分を「たすける」ことです。またそれは自然と自分との「たがいの」交感によるものです。そこから「相」は「たすける、たがいの(に)」という意味になります。またそのような相手のことを「相棒」と言うのでしょう。
 その「相」に「心」をつけると「想」です。遠くの人や物事を思い描き、自分が得た自然(「木」)の生命力をそれらへ差し向け、思い遣ること、それが「想」です。
 今週は、このようにして、「『心』の部 ①」と題して漢字の成り立ちを学びました。「想」の他にとりあげたのは「心」「思」「愛」でした。

 最近、クラスの前後の休み時間では、M君とT君は『ドラえもんの ひみつ道具カタログ』という本に夢中です。一ページに一つずつ、ドラえもんの道具が図と文章で紹介されています。それは(私でも)読んでいて面白いものです。まるで空想科学小説を読むように、M君とT君は一ページごとの「あんな夢 こんな夢」に胸を躍らせます。彼らの熱中ぶりを見ていると、実はこういう瞬間にこそ「楽しみながら学ぶ」ということがごく自然と行われているのではないか、と常々思っていました。
 それで、今日はクラスの残り時間に、自分だけの「ひみつ道具」をつくってもらうことにしました。用紙を一枚ずつ渡し、そこに道具の図と説明文をかいてもらいました。みんな楽しそうに、でもとても真剣に取り組んでくれました。
 M君がつくってくれたのは「電波たい」と「チビロボット」の2つです。「電波たい」というのは、設計図となる絵をポットに入れて、そのポットの下から出てきた立体のことです。「紙に絵を書いて色をぬり ポットにまるめていれる。そうすると電波たいがでてくる」。「絵のへたな人はようチェック」という注意書きもあります。それが電波でできているというところが、なんともユニークで現代的だと思いました。
 また「チビロボット」は、面白いロボットです。ロボットなのに成長します。小学校時代から100歳までの成長図を描いてくれました。また、ロボットなのに主人を叱ります。「しかる時はオニになっておこります」。
 T君は「いつでもカメラ」を発明してくれました。「このカメラに 何年何月何日と場所と時間をき入すると その時の写真がとれる。ただし30枚以上とると全てのデーターがきえる」――この冒頭に始まり、実際に「いつでもカメラ」が使われる様子が図入りで説明されていきました。時空を行き来するカメラという発想は非常に面白いと思いました。また、撮った写真が31枚目で「あれ、写真が出てこない?」という結末は、ユーモラスでT君らしいです。