『英語一般』(クラスだより2010.11)

山びこ通信(2010/11月号)の記事をご紹介しています。(以下転載)

『英語一般』 (担当:浅野直樹)

この秋学期から午前や昼の時間帯のクラス(通称大人クラス)が新設されました。「一般英語」もそのうちの一つです。これは新しい取り組みなので、ここでは英語の内容そのものよりも、大人が英語を学習することそのものについて述べます。

大人が改めて英語を学習しようとするのは必要に迫られてのことが多いでしょう。グローバル化が叫ばれて久しい今日では、外国人と接する機会も珍しくありません。その是非は措くとして、外国人と意思疎通するためには英語を使う可能性が最も高いでしょう。実際、このクラスに通われている方も、職場にいる外国人の同僚と意思疎通を図りたいというのが通い始められるきっかけでした。

私自身が英語の必要性を感じた時のことも記しておきます。それは、このように英語を教えるという仕事をするということを別とすれば、読みたい本が英語でしか出版されていない時です。現在では目立った本であれば日本語に訳されることが多いですが、年単位でのタイムラグがありますし、必ず翻訳されるとは限りません。また、パソコンを便利に使うためにフリーソフトをインストールすることもありますが、その時に不具合が生じてもインターネットで調べて解決することができた時にも英語が読める便利さを強く感じました。日本語でもある程度は調べられますが、パソコン関係のトラブルシューティングやFAQは英語のほうが圧倒的に充実しています。もちろん留学生と英語でやり取りをすることもあります。ただ、日本にやって来る留学生は日本語ができることが多いので、そちらに頼ってしまいがちではあります。

このように英語がわかると便利だと言えます。しかし、実際のところは、日本で生活する分には英語ができなくてもあまり困らないと個人的に思います。英語ができないと務まらないような仕事はまだそれほどはありません。それでは必要性に迫られていない人は英語を学習してはいけないのでしょうか。そんなことはありません。英語を学習すること自体を楽しむという道もあります。

それでは英語の楽しみとはいったい何なのでしょうか。それは人それぞれでしょう。私の場合は、英語を最初に学んだ時はわけがわからなかったのが、学習を積み重ねるにつれて理解が深まったのが楽しいと感じました。その楽しさを劇的に体験したのは単語を語源に従って解釈するというやり方を知った時です。高校を卒業した後でたまたま目にした本にそのようなことが書いてあり、初めはそんなものかと読み流していたのですが、英語を学べば学ぶほどその考え方の威力を感じるようになりました。ラテン語をもっと学べばその楽しみもさらに増える予感がします。

必要性と楽しさ、両方あるのが理想ですが、少なくとも一つがあれば英語の学習を続けられると思います。

(浅野直樹)