4/21 ことば5年生A

高木です。

今日も『オズの魔法使い』を読みました。
まず先週読んだところを思い出してもらいました。ドロシーの家が竜巻で飛ばされて、落ちたところはオズの国だったのですが、ドロシーがドアを開けて最初に見た風景について、M君よく覚えていて、かなり克明に説明してくれました。
今日はその続きからです。向こうから一人のおばあさんと三人の男がやってきます。北の魔女とマンチキン国の人たちです。魔女はドロシーに、自分が元々いた場所(カンザス)へ帰るにはオズ大王に頼めばいいことを伝え、ドロシーは旅に出発します。途中で、畑に立っている、自分は頭が悪くて脳がない(と思い込んでいる)カカシに出会い、一緒にオズ大王のもとへ向かうことになりました。今日読み進めたのはここまでです。
私も含めて、時計回りに代わる代わる、一ページずつ朗読しています。それぞれとても熱心に朗読してくれます。自分以外の人が読んでいるときも、目は文字から離しません。だから、読み間違えたまま過ぎようとすると、かならず誰かの「そこは……やで」という訂正を求める声が入ります。彼らの間には一人の朗読を全員で共有する雰囲気があると思い、この物語自体の魅力もさることながら、その物語に入り込み、その物語を共有する彼らの真剣な姿勢を見ることができました。

本読みの後は、去年取り組んでいた漢字の成り立ちを引き継ぐようなかたちで、漢字の特別な読み方(熟字訓、当て字)について学びました。漢字への興味を持ってもらうため、またすでに持っている興味を伸ばしてもらうためです。
たとえば「七夕」は「たなばた」と読みますが、「七」だけでは「たな」とは読まないし、「夕」だけでも「ばた」とは読まない。「七夕」とセットになってはじめて「たなばた」と読むのだというような、「熟字訓」についての説明を簡単にしたあとで、さっそく見ていくことにしました。
ただ、去年は、こちらが漢字の成り立ちのプリントを用意して、それを読んでもらうというかたちで進めていたのですが、やはり「自分で書く」ことは大切だと思い、あえて今年は罫線だけを印刷したプリントをお渡ししています。こちらが先に、熟語とその読みを羅列したプリントを渡してしまうと、ともするとさっと一瞥しただけで学んだ気持ちになってしまい、それは結果的には、能動的な「学び」ではなく、受動的な知識の受け取りになってしまう恐れがあります。もちろん去年も「チャレンジ問題」として、わざと空白欄をつくって、自分で考えてもらうということをしていましたが、今年はそれをより本格化しています。熟字訓の読みは、ただ覚えるしかない知識というより、本来は漢字の組み合わせから推測できるものですし、またそのように推測してこそ本当に身に付くものだと思います。いわば漢字の成り立ちの熟語版です。
とはいえ、これはなにも特別なことではなく、私が熟語の漢字だけをホワイトボードに書いたときに彼らがたどった、普通の思考のパターンです。彼らはむしろ楽しみながら、四人の頭を持ち寄って、漢字の意味から熟語の読みを想像してくれました。たとえば「極光」と書いたときに、それを「極」の「光」だと考え、「極」にはどんなものがあるかと想像して「北極」や「南極」が出てきたときに、そういう場所にある「光」とは何かとなって、それは「オーロラ」のことだとなりました。最終的に「オーロラかな」と言ったのはY君ですが、そこまで導いたのはH君、T君、M君を含めた全員の力です。そして事実、「極光」は「オーロラ」と読みます。
たしかに、一つの正答に辿り着くまでには、無数の間違いが生まれることになり、これはとても効率の悪いことのように映るかもしれません。しかし、その無数の間違いを生んだ、ひとつひとつの想像力は、本物です。「白雨」は「ゆうだち」(音読みでは「はくう」)と読むのが正解ですが、それを「ゆき」と読んでくれた感性も、私は素敵だと思います。正答へ至るまでには、私の補助が必要ですし、それなりに時間もかかります。しかしこうして楽しみながら真剣に取り組んだことは、確実に彼らのなかに定着していくのだろうと思います。