『ラテン語入門・講読』──山びこ通信より(2005.2)

『ラテン語入門(初級文法)』(担当:山下太郎)

教科書は『ラテン語初歩』(岩波書店)を使用しています(これは通信講座用の教科書でもあります)。

授業では、活用変化を全員で合唱することから始め、その後、練習問題の答え合わせをします。内容はラテン語を和訳するものですが、受講者の熱意に助けられ、1回の授業で4課ずつ進んでいます。これはかなりのハイペースですが、文法の学習はだらだらやるより一気に片づける方が効果的です。教科書には和文羅訳の問題もついていますが、これについては、授業中に答え合わせをする時間が惜しいので、後日復習をかねて電子メールで解答を受けつけ、私が添削してお返ししています。

今のクラスは12月からスタートしましたが、この調子で行けば、今学期中に教科書は最後まで終わります。春からは、キケローかセネカの講読クラス(後述)にスムーズに合流できるものと確信しています。

(山下太郎)

 

『ラテン語講読Ⅰ・Ⅱ』(担当:山下太郎)

水曜日のクラスでは、昨年春からキケローの『老年について』(De Senectute)を読んでいます。もう全体の半分近くまで読んだ計算になります。授業は、大学の演習と同じスタイルで進めています。最初に受講者がテキストの音読をし、その後に訳を発表してもらいます。その際、意訳はNGで、原文に密着した直訳を求めています。これによって、文法の理解度を正しく確認することができるからです。

キケローのこの作品は、人はいかに老いるべきか、いいかえれば、人は何を目指しいかに生きるべきか、という哲学の根本的な問題にふれています。毎回、ハッとさせられる表現やものの考え方に遭遇できるので、私も受講生のような気持ちで、わくわくしながら授業に臨んでいます。

…しかし、この人たちは、自分にはまったく関係のないことが分かっていることに
せっせと励んでいるのである。

次の世代に役立つようにと木を植える

と、わが同胞スターティウスが『若い仲間』で述べているように。まことに、農夫
なら、どれほど年老いていようが、誰のために植えるのか、と尋ねられたら、ため
らわずこう答えるであろう、「不死なる神々のために。 神々は、私がこれを先祖か
ら受け継ぐのみならず、後の世に送り渡すようにとも望まれた」。

──キケロー『老年について』(中務哲郎訳)

一方、金曜日のクラスでは、昨年春からマルティアーリスの『寸鉄詩』(Epigrammata)を読んできました(テキストは大学書林のアンソロジー)。この本は昨年末で読了し、今年に入ってからは、ローマの哲人セネカの作品を読んでいます。タイトルは『幸福な生活について』(De Vita Beata)です。授業の進め方は、キケローのクラスと同様です。哲学といっても、ごく平易な日常の言葉で書かれているため、内容的にも親しみがもてます。

(山下太郎)