山の学校 weblog

山の学校は小学生から大人を対象とした新しい学びの場です。子どもは大人のように真剣に、大人は子どものように童心に戻って学びの時を過ごします。

「雑談」の記事一覧

2021-11-27 山の学校の目指すもの

山下です。 10年ほど前に書いたエッセイです。 基本と応用の重視ということですが、一般に言われていることと少し定義が異なると思います。 >>山の学校の目指すもの

2021-11-26 学びは己のためならず

山下です。 学びは自分が好きなことを追求すればよいのですが、それだけではないという話。キケローの「老年について」に出てくるサビーニーの農夫たちがのちの世のために「木を植える」話の示唆するように、学びの環境は、緑の森のよう […]

2021-11-25 収穫を問うなかれ

山下です。 スティーブ・ジョブズ氏の言葉と相通じる部分があるなと感じるのが「収穫を問うなかれ」という曾国藩(1811-72)の言葉です。 >>「収穫を問うなかれ」 この言葉にまつわるエッセイです。

2021-11-19 メメント・モリ

山下です。 「死を忘れるな」を意味するラテン語です。 >>Memento mori. 文法の説明はリンク先に載せています。西洋古典に接すると、この言葉の意味するメッセージを随所で見聞きすることになります。 もちろん、我が […]

2021-11-18 徳孤ならず

山下です。 『論語』に「徳孤ならず。必ず隣あり」という言葉があります。 意味は読んで字のごとくですが、いわゆる「世間」と距離を置いた自分の信じる道が孤独に感じられるとき、思い出すとよいでしょう。 ラテン語には、「清廉潔白 […]

2021-11-16 心を入れ替えよ(キケロー)

山下です。 キケローの「ピリッピカ」に、「心を入れ替えよ」という表現があります。 この言葉を含む前後の文章について、一字一句を解説しました。 >>「心を入れ替えよ」(キケロー『ピリッピカ』1.35より)

2021-11-12 『論語』の言葉

山下です。 「憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず。」 教師の本音を代弁している言葉です。 生徒が問題を前にして悩み、悶々としている状態なくして、指導はできないということです。 教師が「憤しない」(問題意識の乏しい)生徒を […]