「人生を演じきる」

キケローは『老年について』の中で人生を劇に例え、ある場面の役者は自分の役を演じきったら、劇の最後まで残っていてはいけないといいます。

この世に於ける自分の役はなになのか?

何を演じきることが自分の務めなのか。

日頃なかなか立ち止まって考える余裕はありませんが、折を見て考えてみたいものです。

70節. Neque enim histrioni, ut placeat, peragenda fabula est, modo, in quocumque fuerit actu, probetur, neque sapientibus usque ad ‘Plaudite’ veniendum est.

実際、役者にとって、人を喜ばせるためには、劇の最後まで演じるべきでない、どこであれ、彼の登場する場面において、彼が評価される限りは。また賢者にとっても(sapientibus)、「みなさま拍手を (Plaudite)」にまで至らなくてもよい。

Breve enim tempus aetatis satis longum est ad bene honesteque vivendum; sin processerit longius, non magis dolendum est, quam agricolae dolent praeterita verni temporis suavitate aestatem autumnumque venisse.

というのも(enim)、人生の(aetatis)短い(breve) 期間は(tempus)、立派に(bene) 誠実に(honesteque) 生きるには (ad…vivendum) 十分(satis) 長いからである(longum…est)。もしそれ以上長く生きても、春の(verni) 季節の(temporis) 甘美さが(suavitate) 過ぎ(praeterita)、夏や秋が訪れたといって農夫が嘆くように嘆くべきではない。

Ver enim tamquam adulescentiam significat ostenditque fructus futuros, reliqua autem tempora demetendis fructibus et percipiendis accommodata sunt.

実際、春はいわば青春時代を意味し、未来の収穫を約束するのに対し、残りの季節は、収穫を刈って取り入れるのにふさわしい。