Q. 形容詞の副詞的用法とは?

2020年5月14日

Q. 「形容詞の副詞的用法」がよくわかりません。

A. 日本語の例で考えてみましょう。

日本語の場合、「美しい」「花が」「咲く」と言いますが、「花が」「美しい」「咲く」とは言いません。

ところが、ラテン語の場合、「花が美しい咲く」と言うのです。もちろんこれを「花が美しく咲く」と言い直さないと意味は通りません。

「美しい」という形容詞を「美しく」と副詞に変換して文意をとることが求められます。これがラテン語の「形容詞の副詞的用法」のイメージです。

Caesar prīmus vēnit.という表現を例にとると、この文の形容詞prīmusがこの用法に該当します。

prīmus(最初の)は、主語カエサルと性・数・格が一致しています。

「カエサルは」「最初の」「来た」という具合に単語が並んでいますが、日本語にする場合、「カエサルは」「最初に」「来た」としないと意味は通じません。

ただここで厄介な問題があります。ラテン語は語順が自由なのです。したがって、prīmusをふつうにCaesarにかけて訳してはいけないのか?という疑問が生じます。

つまり、「最初の」「カエサルは」「来た」と並べてはどうか?という問いです(この場合のprīmusのはたらきを「形容詞の属性的用法」といいます)。

どちらがよいかの判断は、結局のところ文脈次第です。

「カエサルが最初に来た」がよいか、「最初のカエサルが来た」がよいか?後者は日本語として意味が不鮮明ですね。

そう考えると、前者がよい、ということになります。

実際の例を紹介します。

Tacitī ventūra vidēbant.(Aen.2.125)
「黙っている」「これから起こることを」「彼らは見ていた」。
Tacitīを「形容詞の副詞的用法」ととり、「彼らは黙ってこれから起こることを見守っていた」と訳すことが可能です。

もちろん、「黙っている彼らはこれから起こることを見守っていた」としても文法的に間違いではありません(この場合、tacitīを「形容詞の属性的用法」ととる)。

余談

これを言うと話がややこしくなるのですが、形容詞には「名詞的用法」というのがあります。この文のtacitīを「黙っている者たちは」と訳すことも可能です。

その場合、「黙っている者たちは、これから起こることを見守っていた」となります。

上の例文は『アエネーイス』に出てくる詩行ですが、「岡・高橋訳」は、「口に出さぬ者も何が起こるか見通していました」となっていて、tacitīを「形容詞の名詞的用法」ととっていることがわかります。

どれがよいのか?大事なことは上に挙げた選択肢があるという事実を承知しておくこと、あとは文脈を自分なりに考えて一番しっくりくる訳語を考えることです。

ちなみに私はこの箇所を「副詞的用法」ととって、次のように訳します。文脈を知っていただくため、少し前の部分も含めて拙訳を紹介します。

彼は神殿から恐ろしい言葉を持ち帰った。 115
「ダナイー人よ、かつてなんじらは乙女を屠り、その血によって風を鎮め、
初めてイーリウムの岸辺にやって来た。
帰国を求める際にも血を流さねばならない。今度はアルゴス人の命によって
吉兆を得るときだ」。この言葉が群衆の耳に入ったとき、
皆の心は呆然とし、冷たい震えが骨の髄を走り抜けた。120
だれにそのような運命が訪れるのか、アポッローは誰を求めるのか。
このとき、騒然とした群集の真ん中にあのイタカ人が予言者カルカースを
連れて現れ、神々の意志は何であるのかをしつこく問うた。
すでに多くの者がこの策士のわたしへの残酷な
仕打ちを予言し、黙って事の成り行きを見守っていた。125

この文の「わたし」とはトロイア戦争の「木馬の計略」で一芝居をうったシノーンです。tacitīは前の行の「多くの者」(multī)と性・数・格が一致するので、「多くの者が・・・黙って」と訳しました。

その他の例

Arma amens capiō.(Verg.Aen.2.314)
わたしは無我夢中で武器をつかむ。

armaはarma,-ōrum n.pl.(武器)の対格。amensは第3変化形容詞amens,amentis(正気を失った)の男性・単数・主格。主語の「私」と性・数・格が一致。この文では副詞的に用いられています。capiōはcapiō,-ere(つかむ)の直説法・能動態・現在、1人称単数。

Q&A

Posted by 山下 太郎