妻との別れ:オウィディウスの『悲しみの歌』を読む

2019年11月5日

妻との別れ:オウィディウスの『悲しみの歌』を読む

Cum subit illīus tristissima noctis imāgō,
quae mihi suprēmum tempus in urbe fuit,
cum repetō noctem, quā tot mihi cāra relīquī,
lābitur ex oculīs nunc quoque gutta meīs. Tri.1.3.1-4

<逐語訳>
あの夜の(illius noctis)もっとも悲しい(tristissima)姿が(imago)うかぶ(subit)たび(cum)、
それ(quae=その夜)は私にとって(mihi)都(urbe)での(in)最後の(supremum)時(tempus)であった(fuit)が、
あの夜を(noctem)思い出す(repeto)たび(cum)、そのとき(qua=その夜に)あれだけ多くの(tot)私にとって(mihi)愛しいものを(cara)捨てた(reliqui)のだが、
今も(nunc)また(quoque)涙のしずくが(gutta)私の(meis)両目(oculis)から(ex)こぼれ落ちる(labitur)。

<訳例>
あの夜、都で過ごした最後の夜、あのときの悲しんで悲しみきれぬ思いが浮かぶたび、数々のいとおしいものを捨てたあの夜を思い返すたび、今なお、わが目からは涙のしずくがこぼれる。


quid facerem? blandō patriae retinēbar amōre, 49
ultima sed iussae nox erat illa fugae.
ā! quotiens aliquō dīxī properante ‘quid urgēs?
uel quō festīnās īre, uel unde, uidē.’ 52

私は何を(quid)なすべきだったのか(facerem)。祖国への(patriae)愛しい(blando)愛によって(amore)私は引き留められた(retinebar)。
だが(sed)あれが(illa)追放の(fugae)命令の(iussae)最後の(ultima)夜(nox)だった(erat)。
ああ(a!)何度(quotiens)せかす(properante)者に(aliquo)私は言ったか(dixi)、「なぜ(quid)おまえは急がせるのか(urges)?
あるいは(uel)どこに(quo)行くよう(ire)おまえは急がせるのか(festinas)、あるいは(uel)どこから(unde)<出て行くよう急がせるのか>、考えてみよ(uide)」と。

dēnique ‘quid properō? Scythia est, quō mittimur’, inquam, 61
‘Rōma relinquenda est, utraque iusta mora.
uxor in aeternum uīuō mihi uīua negātur,
et domus et fīdae dulcia membra domūs, 64

ついに(denique)「なぜ(quid)私は急ぐのか(propero)。スキュティア(Scythia)である(est)、われわれが送られる(mittimur)ところは(quo)」と私は言う(inquam)。
「ローマは(Roma)去られるべき(relinquenda)である(est)(=ローマから去らねばならない)。二つのどちらも(utraque)正当な(iusta)遅延(mora)<の理由になる>。
妻は(uxor)生きた身で(uiua)永遠に(in aeternum)生きている(uiuo)私から(mihi)引き離される(negatur)。
家も(domus)忠実な(fidae)家の(domus)親しい(dulcia)仲間たちも(membra)。

どうすればよかったのだ?祖国へ寄せる愛しい思いはわが身を引きとどめた。が、あれが追放令の定めた最後の夜だったのだ。ああ!急げと言う者があるたび、私は何度も言った、「なぜ急かす?急げといってどこへだ、どこから出て行くのかわかっているのか。・・・われわれが送られるのはスキュティア、去らねばならぬのはローマだ。どちらを考えても遅れるのはもっとも。妻も私も生あるうちに、私から妻が永遠に取り上げられる、家もその忠実な家人もともどもに」と。 Tri.1.3.49-52, 61-64



tum uērō coniunx umerīs abeuntis inhaerens 79
miscuit haec lacrimīs tristia uerba suīs:
‘nōn potes āuellī: simul āh! simul ībimus’, inquit,
‘tē sequar et coniunx exulis exul erō. 82

だが(uero)このとき(tum)妻は(coniunx)去ろうとする私の(abeuntis)肩に(umeris)すがり(inhaerens)
このような(haec)悲しみの(tristia)言葉を(uerba)自分の(suis)涙に(lacrimis)混ぜ合わせた(miscuit)。
「あなたは引き裂かれることが(auelli)できない(non…potes)。いっしょに(simul)、ああ(ah!)いっしょに(simul)私たちはいくのです(ibimus)」と言う(inquit)。
「私はあなたに(te)ついていく(sequar)。追放者の(exulis)妻として(coniunx)追放の身に(exul)なりましょう(ero)」。

tē iubet ē patriā discēdere Caesaris īra, 85
mē pietās: pietās haec mihi Caesar erit.’

「カエサルの(Caesaris)怒りが(ira)あなたが(te)祖国(patria)から(e)出て行くことを(discedere)命じている(iubet)。私が(me)<祖国から出て行くことを>ピエタースが(pietas)<命じている>。この(haec)ピエタース(pietas)は私にとって(mihi)カエサル(Caesar)となる(erit)」。

妻は去り行くわが肩にすがり、私の涙に悲しみの言葉をとけ込ませた。「あなたを取り去れるものですか。いっしょに、ああ!私たちはいっしょに行くのです。あなたについていきます。私は国を追われた者の国を追われた妻になります。・・・あなたに祖国を去れと命ずるのはカエサルの怒りですが、私には愛しい人を大切に思う心が命じます。この心こそを、私にとってのカエサルとします」。