お山の絵本通信vol.213

──なつかしい絵本と先生のこえ──

『14ひきのかぼちゃ』

いわむらかずお/文・絵、童心社1997年

2024年12月19日に、絵本『14ひきのシリーズ』の作者、いわむらかずおさんが亡くなりました。このシリーズは、大勢の読者の心の故郷となっています。おじいさん、おばあさん、おとうさん、おかあさん。いっくん、にっくん、さっちゃん、よっちゃん、ごうくん、ろっくん、なっちゃん、はっくん、くんちゃん、とっくん。ぜんぶで14ひきのねずみが、12冊のシリーズを通して、作者の愛情たっぷりに描き分けられています。

たくさん語ってくれる絵と、シンプルな文の構成は、まだ字を読めないお子さんでも、じっくり味わえます。ごうくんの手が、何を取ろうとしているのか。くんちゃんがなぜべそをかいているのか。とっくんのおもちゃのトラックには何が乗っているのか。それらに気づくのは、大人よりも子どもの方が得意でしょう。また、生き生きとした14ひきの様子だけでなく、四季折々の植物、虫や鳥が、細やかに描き込まれています。それらは見れば見るほど、心に焼きつくでしょう。三歳でもオトコヨウゾメという実の名前を覚えるほどです。最近の版は、びっくりするぐらい発色がきれいです。それなので、むかし読んだという方にも、新版を手に取られることをおすすめします。

さて今回は、シリーズのうち、10作目の『14ひきのかぼちゃ』をご紹介します。

「これは かぼちゃの たね、いのちの 
つぶだよ、と おじいさん。みんなで 
たねまきしよう、と おとうさん。」

冒頭でこう語られたあと、一つぶの種がどんどん大きくなる展開。小さなねずみたちの目線でとらえる、大きなかぼちゃの葉。それが見開きいっぱいに描かれた様子は、圧巻です。

種をまいただけでは何も生じません。一日一日という時間と、そのつどの世話が必要です。芽がでないときの「いきているのかな」という心配。ふたばが出た時の「そっと そっと しずかにね」という気づかい。少し大きくなってくると、「かぼちゃん」と名付けるという慈しみ。わらのお布団。嵐の時の見回り……。ねずみたちは、かぼちゃの成長を大事そうに見守ります。そして風雨を経験し、収穫できたかぼちゃの、なんと大きなこと。得られた種の、何とたくさんなこと。

私はこの絵本にすっかり魅せられてしまいました。好きなシーンを何枚か模写しました。12時間かけて1枚ずつ。絵の筆致をたどると、いろいろな発見がありました。そして作者に対する尊敬が増すとともに、文だけをちょろちょろ読んでいたことを反省しました。あらためて、心でかめばかむほど、この絵本は栄養満点だと思いました。

ところで、『14ひきのシリーズ』には、きまって食事シーンがあります。それも14ひき全員そろっての。それには、私たちがどこかに忘れてきたなつかしさ、深い安堵をおぼえます。童心社のHPを見てみると、「みなさんへメッセージ 14ひきの作者より」に、こうあります。

「家族」と「自然」、それは、国や時代を超えて、わたしたちに
生きるよろこびを与えてくれる、心の拠り所です。

と。この「心の拠り所」という言葉に、私はつよく惹かれました。

『14ひきのシリーズ』では、描かれていないものが、たくさん目につきます。テレビもラジオもありません。あったほうが便利だと思えるものも。ですが、その「ない」ことで、むしろ「ある」ことが、やさしく浮き彫りにされます──心の拠り所となる「家族」と「自然」の存在が。同時代の仲間から愛された記憶と、自然の中で癒された体験が。14ひきには、「今ここ」という心地よい居場所があります。誰かの何かの役に立つからという関係で生きているわけではないという安心感があります。

絵本の読みきかせも、何かのためにするのではないでしょう。将来のためというよりも、むしろ子ども自身がいとおしいからするのでしょう。ただ、読んであげたくなるからでしょう。そのように絵本を読んでもらった経験は、きっと心の拠り所となるでしょう。

今回ご紹介した『14ひきのかぼちゃ』を含む、『14ひきのシリーズ』。作者は亡くなっても、作品は読み継がれます。愛されたものには、また愛が宿ります。そしてその愛とは、行為の結果をかえりみないうちに、いつの間にか、心の拠り所を育むものだと、私はそうは思います。

文章/Ryoma先生