お山の絵本通信vol.204

──なつかしい絵本と先生のこえ──

『つきは かがやく』

パトリシア・ヘガティ/文、ブリッタ・テッケントラップ/絵、木坂涼/訳、ひさかたチャイルド2023年

 物ごころがつく以前の自分のことを父や母の思い出話で聞いたとき、なぜかそのシーンを鮮明に覚えていることがいくつかあります。

    やわらかな つきの ひかりが
    よるの もりを
    やさしく てらしているよ ・・・

詩のようにはじまる絵本の冒頭部分は、今も私が覚えている小さな頃のある心象風景と重なります。夜泣きをして眠らない私を背中に負うて「ほら、おつきさんよ。おつきさんがこっちをみてはるよ」と言って後ろを振り向く母の声を聞きながら、温かな背中のおくるみの中から夜空に光る月を眺めているというシーンがそれです。

家のお向かいが教会で、その向こうには大きなヒマラヤスギがあるのも絵本のはじめのページに描かれた風景とどこか似ている夜の色です。「覚えているわけがない、とても小さな頃のことだから」と両親は言いますが、私にはほかにもいくつか覚えている思い出のシーンがあって、当時のことを話していると「そんなことをよく覚えているね」といって驚かれます。

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絵本のページをめくると生き物たちがいる砂漠の夜空に三日月が浮かんでいます。次のページではオーロラが一面に広がるアラスカの岩場から、ツノメドリ(パフィン)たちが雪を照らす夜空のお月さまを見上げている様子が描かれ、月はだんだんふくらんでいきます。

たくさんのわたり鳥たちが寒い国から暖かい国へと飛び立つ夜空のシーンは、お月さまが「いってらっしゃい」と鳥たちに優しく語りかけているかのようです。月の光に照らし出された大群の鳥たちの羽は、夜の海に輝くお月さまの光に照らし出され、その美しいことこの上ありません。目が釘づけになりながら、そんな壮大な光景が目の前に広がっているかのような気持ちになります。

深いジャングルの奥に銀の光が差し込むと、葉蔭に潜むカエルたちが歌い出し、鮮やかな色のオウムたちはその光の中を飛び交います。ある時はウミガメたちの夜の産卵を見守るように、月はありったけの明るさで照らし応援しています。深い海の中に届いた月の光が波のリズムでゆらゆらと揺れる様子について、月はそうして漂う「波の指揮者」であると作者は書いています。高い山の上にも、日が落ちた砂漠のサバンナにも、動物たちの上にもいつまでも月の光は美しく射し続けるのでした。

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幼児期は知識よりも感性の土壌をできるかぎり育むべき大切な時期だと思います。言葉のいらない感性の時代の出来事は、何よりも子ども達にとって生涯に渡り幸せで安心できる思い出となって蘇ってほしいと願います。私がこの絵本を読んで真っ先に思い出したのは、先に挙げた自分の子ども時代の思い出のシーンと作曲家ドビュッシーのことでした。

パリで生まれたドビュッシーは生活が苦しくて小学校にも通えない幼少期を過ごしましたが、親戚のいる地中海の広々とした海と地平線を眺めるのが好きだったそうで、そんな幼い頃の心象風景が後にピアノに向かって作曲する感性の源であったに違いありません。自分の幼少期をふりかえりながら、また、ドビュッシーの見た海と月に思いを馳せながら、私は本園の子ども達のことを思わずにいられませんでした。

この絵本は、月のきれいな秋の夜にぜひ親子でページを開いてほしいと思う一冊です。できれば秋の夜空の美しい日にドビュッシーの「月の光」(ベルガマスク組曲3曲目)を聴きながらページをめくれば、大人にとっても子どもにとっても至福のひとときが流れ、やがてかけがえのない思い出に昇華していくのではないでしょうか。

――― 2023年秋。中秋の名月の日に。

文章/Ikuko先生


(文はイギリス人のパトリシア・ヘガティ。絵はドイツ人ブリッタ・テッケントラップ。訳は日本人の詩人であり児童文学作家、翻訳家の木坂涼)