お山の絵本通信vol.190

──なつかしい絵本と先生のこえ──

『絵本の世界を旅する』


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

子どもは絵本が大好きです。本そのものの面白さはもちろんのこと、本を読んでくれる親の優しさが心にしみ入るからです。

善悪の判断の定まらない子ども時代には、たっぷり言葉の栄養を与える必要があります。乳幼児にとっての授乳と同じく「言葉の授乳」が必要な時期があるのです。これは、他人任せにできることではありません。絵本の読み聞かせを通し、子どもは無言の内に親の愛を感じ、いずれ自らの力で大きくはばたく糧を得ます。

ジョン・バーニンガム『ねえ、どれがいい』というユニークな絵本があります。もし「ゾウにおふろのおゆをのまれちゃう」、「ワシにごはんをたべられちゃう」、「ブタにふくをきられちゃう」、「カバにベッドをとられちゃう」としたら、「ねえ、どれがいい」といった具合に、子ども泣かせの「究極の選択」が用意されています。それぞれの選択肢をイメージ化した挿絵は、どれもユーモラスでとぼけた味わいがあり、絵を見ているだけでも時間を忘れ、空想の世界に引き込まれます。

どのページを開けてもまともな選択肢は一つもなく、子どもはどれが一番「まし」かを真剣に考えます。この「真剣に」というのが重要なポイントで、大人は子どもが「えーっと。うーんと」と一生懸命考える姿を見ているだけで和めます。「ぼくわたしはこっち。だって・・・だから」。答えを決めた子どもが語り始めたら、大人も相づちをうちながら、筋書きのないおしゃべりに花を咲かせましょう。一緒に絵本を見ながら交わす他愛のないおしゃべり。これこそ、作家が狙い、目指したものだと思われます。

日常をふりかえれば、大人はどうしても常識を頼りに意味を求め、無意味を排除しがちです。空を見る回数は減り、白い雲の形を見て何に見えるかを考えることもなくなります。でも、子どもは本来「非常識」や「非日常」が大好きです。そして、大人も本当は同じなのです。

浜田広介『りゅうのめのなみだ』もそうした非日常へと誘ってくれる絵本です。誰もが恐れる龍をもちっとも怖がらない男の子がいました。彼は龍に語りかけます。「ぼくはおまえさんをにくみはしない。いじめはしない。もしもだれか、かかってきたら、いつだって、かばってあげる」。この言葉を聞いて、龍の目に涙が光り、やがて溢れ出します。

なぜ強いはずの龍が涙を流すのか、なぜ男の子が龍をかばうと言うのか、よく考えるとわからないことだらけです。それでも、子どもたちはこの本に惹かれます。人生のもっとも大切な何かに触れていることを、直感的に感じ取るのでしょう。その大切なものとは「…しましょう。…してはいけません」といった普段語られる類のものではありません。そんな「わかりやすい」形ではけっして語られない、しかし、自分の生と必ずつながっている大切な何かです。

将来子どもが「本好き」になる秘訣は、親自身が絵本の世界を楽しむことです。親が童心に返って子どもと喜びを共有する――絵本の最大の魅力はそこにあると思います。そして、親と一緒に本のページをめくる生活習慣は子どもの精神世界を豊かにしていきます。小学校以上の勉強において一番大事になるのが「国語」ですが、その基礎となる言葉のセンスは家庭での会話と、読み聞かせの習慣によって養われると言って過言ではありません。

「今、忙しいから」といってテレビに子守りを任せるのではなく、どうか絵本をたくさん読んであげてください。何も多くの絵本をそろえる必要はありません。気に入った本をボロボロになるまで繰り返し読んでも、子どもは飽きることはありません。上手下手も問題ではありません。心を込めて読むことに意味があります。「もういっぺん読んで」と子どもがねだれば、それは心が通い合っている証拠です。

文章/園長先生