お山の絵本通信vol.181

──なつかしい絵本と先生のこえ──

『ハリネズミさんのすてきなコート』

A・アトリー/文、M・テンペスト/絵、箕浦万里子/訳、偕成社1988年

よそもののハリネズミのおじいさんがいました。一人ぼっちで、みすぼらしいかっこうをしています。そのおじいさんから「コートが一着ほしい」と言われたグレイラビットは、かわいそうに思って、大うさぎのヘアとりすのスキレルに相談します。けれども二人は大反対。「なんでそんな義理があるんだ」「あつかましい」と。

グレイラビットはそれ以上強く言えず、こっそりおじいさんの様子を見にいきます。そして家に帰ると、「やっぱりいい人だった。だから、コートをあげたいの」と繰り返します。ヘアとスキレルはまだ疑います。

ところが翌日、ヘアが好奇心を起こし、おじいさんにぎこちなく近づきます。そしてあることをきっかけに、まんざらでもなくなり、「いい人だ」と意見を変えます。「そんなはずがない」と思ったスキレルも自分の目で確かめに行きます。そして「いい人だった」とほめそやします。一体、それぞれに何があったのでしょうか。

最初、三人はハリネズミのおじいさんに対して、「よそもの」という偏見を持っていました。グレイラビットのかわいそうという心情も義務感からくるものでした。コートをあげることに対する三人の押し問答の箇所を読むと、私の内面でも、やさしい部分とかたくなな部分とのつな引きを感じます。そしておじいさんに対する好意が、0対3から3対0へとひっくり返る展開には、なんとも言えずに心が温まります。

今はコロナ禍で、偏見を持つと、社会に不信を抱き、暗くなりがちです。しかし逆にそれを手放すことができれば、明るくなれます。そのことを私に教えてくれたのが、幼稚園の子どもたちです。

引率して、園に到着したある日の朝のことです。事務室に戻ろうとすると、年中の男の子が、一人でたんぽぽ組のそばにいるのを目にしました。この時間帯なら、お部屋に入っているはずが、なぜなかと思い、とっさに浮かんだ空想は、「おふざけかな?」でした。でも数秒観察し、顔がまじめだったので、彼にはたんぽぽ組の弟がいることを思い出しました。それで、弟の持ち物がかばんに入っていて、届けにきてくれたのだと思い至りました。

「ありがとう、何か届けてくれたんやね」と言うと、彼は、「うん。おはし箱!」と答えて、自分のクラスへ向かって坂道をのぼっていきました。見ると、それ(弟の方に入っていた自分のおはし箱)をたずさえていました。交換しにきてくれたのです。私は、心のくもりが晴れたことを感じました。それで、彼に追いつき、「どうもありがとう!」と言い直しました。私が最初に目にしたのは、彼がたんぽぽ組の門を出たところだったのです。もし、あのとき私が言葉をかけまちがえていたら、どうなっていたでしょうか。弟のためにしたことで、いわれもなくとがめられたとしたら……。そうしなくて、私はほっとしました。

また帰りの引率で、こんなことがありました。雨が降っていて、山道のまん中にカタツムリがいました。私も、他の先生も、「かわいそうだから、よけていこうね」と列に声をかけました。そこだけ蛇行がはじまりました。

すると、やんちゃな年長の男の子が、列をとっさにはなれました。しゃがんでカタツムリをつまみ上げるところを目にし、私は思わず、「あ、だめだよ」と言いそうになりました。カタツムリめずらしさに、つないでいた年少児の手をはなしたと思ったのです。しかしそれは私の思いこみでした。

つぎの瞬間、彼はかたつむりを道のわきに置き直してくれたのでした。そうすることで、まだ後ろからぞろぞろと来る子どもたちが、気付くのにおくれて踏んでしまわないようにし、先生が「よけてね」と何度も注意しなくてすむようにしてくれたのでした。だれも思いつかなかった素晴らしい機転に、口から「ありがとう」があふれ、内心では一瞬でも彼を疑ったことを詫びたのでした。

偏見や先入観を持ちそうになった時、私はある光景を思い出すことにしています。

大学を卒業するころ、地下鉄のホームで、数学のM教授を見かけました。電車を待つ間、じっとうつむいて、物理の本を読んでおられました。(ああ、数学の先生もいろいろな分野に興味があって、勉強されているんだ)と、心の中で思いました。そんな当たり前のことも先入観に邪魔されて見えていなかった私には、なんだかふしぎで、背筋の伸びるような数分間の光景でした。

電車が来て、同じ車両に居合わせたので、言葉を交わしました。私は先生の講義に対しては、いつも「よく分からない」というネガティブな気持ちを抱いていました。それから、ぎこちなく、私の卒業後の進路の話になりました。私の専攻は工学でしたが、母親のしていた仕事である保育士になることを伝えました。その時、先生は、こうおっしゃったのです。

「それは、よかった。なぜなら、子どもたちはみんなユニーク。つまり多様な受けとり方のできる人がたくさん必要。だから、よかった。がんばって下さい」と。先生が下りた後、私は先生の数学の証明のような言葉を反芻しました。そして、ほとんど話す機会のなかった先生から、一切の偏見を持たれなかった現実に、感謝し、心が明るくなりました。

そういうわけで、子どもたちと接する時、私が一番気を付けることは、「何事も決めつけないこと」です。もしそれを自分がしていると気付いたら、物理の本を読んでいた数学の先生──絵本に出てくる、あのハリネズミのおじいさんのような──を思い起こすことにしています。子どもたちに寄り添えるお手本に、心にしまっているそのすがたを。


 文章/Ryoma先生