お山の絵本通信vol.72

──なつかしい絵本と先生のこえ──

『ゆきのまちかどに』
ケイト・ディカミロ/文、バグラム・イバトーリーン/絵、もりやまみやこ/訳、ポプラ社2008年

あと一週間もするとクリスマス。子ども達にとっては一番楽しみな、また大人にとっても大切に迎えたい日でもあります。待ちに待ったクリスマスイブの夜は家族で集い、遠いむかし、ベツレヘムの馬小屋で救い主イエスキリストがお生まれになったことをお祝いするのです。

近ごろではクリスマスと言えば、美味しいご馳走とケーキをいただき、真夜中になるとサンタさんがやってきてお望みのプレゼントを置いていってくれるワクワク嬉しい日、と思う子がほとんどでしょう。

私は小さな頃、ツリーを飾ってサンタさんからプレゼントが届くのがクリスマスとは思っていませんでした。プロテスタントの幼稚園だったので、クリスマスが近づくと、礼拝堂の天井高くに緑のモミの木でつくられた大きなアドベントクランツが飾られ、4本目のキャンドルが灯る週に入った頃に、イエスさまの降誕を祝うクリスマスページェントが行われます。

子ども達は、東方の博士、天使、ひつじ、ひつじ飼い、ヨセフ、マリアさまに扮し、聖歌隊を組んで先生たちと日ごろから一生懸命に練習してきたクリスマス賛美歌を歌います。礼拝堂が真っ暗になりオルガンの奏楽が始まると、全員に本物の火が点されたキャンドルスタンドを手に入場します。

途中、前の子の白いケープや髪の毛に火がうつらないかと冷や冷やした思い出があります。家族が見守る中、劇をして賛美歌を歌いページェントがようやく終わると、私たちのクリスマスは無事終わったような気持ちになったものでした。当時、仲良しの家族で毎年集い、ともにクリスマスの夜を楽しく過ごしたことも懐かしいですが、やはりこのクリスマス劇こそが私にとってメインイベントであり、大きくなると大人のクリスマス礼拝で奏楽をさせていただきました。

今回この絵本を手にしたことで、自分の小さな頃を振り返るとともに、宗教の違いを越えて存在するはずの慈悲の心や人に対する思いやりの心について、もう一度静かに見つめることができるように思います。

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雪降る真夜中に、さるを抱っこしたオルガン弾きと、窓からこちらを見おろす少女が手を振り合っている素敵な表紙。ページをめくると……。

クリスマスが近づいたある夕暮れです。オルガン弾きと小ざるが街角に立ち、道ゆく人が通ると、赤い帽子をかぶった小ざるはブリキのカップを近づけて人からコインをもらっています。オルガン弾きは手回しオルガンを鳴らし続けます。向かいのビルの部屋の窓から、その様子に気づいた女の子フランシスは、オルガン弾きが寒く凍てつく路上で小ざるとともに夜を明かすことを知り心が痛むのでした。

ある晩フランシスは、歌をうたったり九九をつぶやいたり、眠たくなるのを我慢しながら夜中になるのを待ちます。雪がしんしんと降り続く夜ですが、フランシスが窓辺へ近づくと、コートの胸に小ざるを入れたオルガン弾きが見えました。

「こっちを向いて! わたしを見て!」と、手を振りながら小声でつぶやいた時、ちょうどこちらに気づいたオルガン弾きが、帽子をとってフランシスに向かって手を上げ挨拶を返してくれたのです。

次の日の朝食のとき、「あのひとたち、みちばたでねているの」「ばんごはんをいっしょにたべられないかしら」と、お母さんに頼んでみますが、「知らない人だからだめですよ。それよりこれから大事なお芝居に出るのだから」と、大人としては当然のことを言われます。

フランシスが教会へ出かけるために外へ出ると、オルガン弾きと小ざるはまだ通りの角にいました。フランシスはコインを小ざるに渡し、「これから教会でクリスマスのお芝居に出てイエスさまがお生まれになったことを知らせる天使の役をするの。セリフも一つあるから来てほしい」と伝えました。悲しげな目をするオルガン弾きと小ざるに「きてね」と、もう一度頼むのでした。

いよいよ教会で準備が整い天使の羽をつけたフランシスですが、自分の番がやってきて舞台に出ると、その場に立ちつくしてしまいました。何か言おうとしても言葉がでてこないのです。近くにいる羊飼い役の子も、セリフのない天使役の子も、「はやく、セリフよ」と声をかけますが、フランシスに浮かんでくるのは、外がとても寒かったこと、そしてオルガン弾きが微笑みながらも悲しい目をしていたことだけでした。会場のみんなもフランシスのセリフをじっと待っていました。

その時です。真っ暗な会場の後ろの扉が開いて誰かが入ってきました……、するとフランシスは、

     『うれしい おしらせです。よろこびを おとどけします ! 』 くりかえし 晴れやかな声で
     『いま、よろこびを おとどけします ! 』

と両手を広げ、しっかりにこやかな顔で、天使のメッセージをみんなに伝えることができたのでした。神さまにフランシスの心が通じたのでしょうか。あのオルガン弾きと小ざるが、教会へフランシスを見に来てくれたのです。

最後のページには、出演を終えた大勢の子ども達や大人が、笑顔で立食会を楽しんでいる様子が描かれています。中ほどには、優しい笑顔をたたえたオルガン弾きの姿があり、ある男の子の肩には赤い帽子をとった小ざるがちょこんと乗っています。フランシスのお母さんが、オルガン弾きの老人と和やかに談笑している姿も見えます。

この最後のシーンを見ていると、フランシスの人を思いやる真っ直ぐな心によってもたらされたクリスマスの偶然の奇跡は、もしかすると、私たちが生きていく上でそう不思議なことではないのかも知れない、とも思えてきます。小さなフランシスのように、自分にできる精一杯の勇気を出してみること、そして、隣人(となりびと)を大切に思う温かい愛の心で行ったことは、奇跡のような幸せを運んでくれることもあり得ると私は信じています。

厳しい不況、痛ましい事件、新型インフルエンザの問題などさまざまなニュースが届き不穏なムードが漂う昨今ですが、身近な人を思いやる心、心を開いて人とつながること、そして励まし助け合って生きていくことができると、心の幸せは何倍にも大きくふくれ上がるでしょう。
 この世への贈り物として遣わされた主イエスキリストの生誕に思いを馳せるとともに、子ども達を包む世の中がたくさんの幸せに包まれますようお祈りしたいと思います。

文章/Ikuko先生