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『むかしむかし』
 
 「むかしむかし あるところに・・・」で始まる昔話はたくさんありますが、この本はそれをジャンル別に納めたもので、私の子ども時代の愛読書でした。

 最初は両親に毎晩読んでもらい、そのうち自分で読むようになり、やがて弟や妹に私が読んでやったり、今度は彼らが自分で読むようになったり・・・といった調子で、我が家では代々読み継がれたおかげで、今はカバーも本体もぼろぼろです。
 パラパラ中身を見ていると、自分が当時落書きした跡も懐かしく、子ども時代の気持ちにまっすぐ戻れるような気がします。

 内容を見ると、「力太郎」、「うらしま」、「はごろも」、「したきりすずめ」、「一すんぼうし」といった有名なお話から、「かえるとたまごととっくり」、「あずきとぎのおばけ」、「つぼかい」、「かいかい」、「やりくりやりべえ」、「こたついり」・・・など、どんな話かまるで覚えていないお話まで、子どもの読める日本の民話がたっぷり詰まった一冊です(調べると、今は絶版になっているようです)。

 私は10月から隔週で年少・年中児に対し紙芝居をする機会を持っておりますが、その第一回目は「食べられたやまんば」でした。
 危険を承知でやまんばに会いに行くという小僧に、和尚さんは3枚のおふだを渡して送り出します。小僧は、いよいよやまんばに食べられる! という危機をこの3枚のおふだを使って切り抜けます。

 しかし、とうとう逃げ切れなくなった頃、山寺にたどり着きました。やまんばはすぐ背後に迫っています。寺の中に入れてもらおうと必死で門をたたく小僧に向かって、和尚さんは悠々と応じます。

 このあたりのかけあいがじつにユーモラスですが、和尚さんのせりふの中に「まてまてふんどし締めて(から戸を開けに行くから)」というのがあります。

 私は紙芝居のせりふを下読みしながら、ここを「までまでふんどし締めて」と言い換えました。少しなまった方言の方がとぼけた味があるということではなく、私には「までまで」の響きの方がなんともいえず懐かしい、と感じられたからでした。
 もしや? と思って今回ご紹介した『むかしむかし』を開けてみると、案の定、和尚さんのせりふは「までまで」と記されておりました。

 親(大人)として昔話を子どもに読み聞かせること、それは自分が幼い頃に読んでもらったお話を、その言葉づかいとともに子どもに伝承することに他なりません。

 その親自身、子どもの頃に読んでもらったお話を子に聞かせるわけですから、昔話には時代を超えた命――子育てのこころ――が秘められているのです。今回は昔話を例にとりましたが、同じことは絵本についても言えると思います。

 昔話にせよ絵本にせよ、親(大人)の読み聞かせを通して未来に向かって生き続けるのであり、他方、幼い頃にこの体験をたっぷり味わった子どもたちは、やがて自分で本を読む喜びを知り、みずから言葉による表現に意を注ぐようになる、と私は信じます。
――与田準一・川崎大治・松谷みよ子/文
        遠藤てるよ/絵、童心社1966年
「までまで、ふんどししめて。」
文章 たろう先生