今日は成人式です。

10年ほど前、成人式にふれた記事がありました。

>>2005-01-01 謹賀新年

今読み返すと20才の人には失礼なことを書いていますね(スミマセン)。

今も週に一度大学で教える機会があるのですが、100人以上の学生さんを見ていて感じることは、「遅刻なし、私語なし、質問なし」です。

時代とともに理知的で礼儀正しい若者が増えてきたという印象があります。私が学生のころはなにかにつけてバンカラなイメージの学生が多かったです。さかのぼると学生運動も激しかった時期がありますし、私が小学1年生のときにはやった遊びは「ぜんがくれんごっこ」であり、百万遍が火の海になったのを見た記憶があります。

「質問しない」というのも、それを「礼儀」ととらえている節があります(先生の手間を取らせては失礼?)。質問したいことはネットで調べれば片付くと彼らが心得ても当然であるような社会の風潮もあります。

ここで中高年に目を向けると、一昔前は定年が55才でした。鴎外、漱石の頃は人生50年という見方が多かったと思います。

それが今では、高齢者の定義を75才以上にしてはどうかという提案も出るご時世です(年金支給時期引き上げとのからみもあるのでしょうか)。

このような事情をふまえると、人生50年時代に設計された学校教育の前提は、今の時代にそぐわなくなった部分があって当然だと思われます。

つまり、21世紀のライフサイクルに照らすと、「じっくりゆっくり学ぶ」という姿勢がこれまで以上に強調されてもよいと思われますし、同じ事は中高年以降の世代についてもいえるのではないでしょうか。仕事をしながらも、定年後の人生をいっそう充実したものにするために「学び直し」たり、「学び続け」たりする意識と実践が、今後ますます問われるのではないかと思われます。

生涯技術を高めたり、何かを学び続ける人は老いずに輝くと感じられます。

我田引水めきますが、山の学校に通っておられるシニアの生の声をお聞き下さい。

>>「退職後の生き方とラテン語学習

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