「温故知新」という言葉があり、古いものを現代にどう生かすか、現代人の課題とされます。

一方、「古今東西」という言葉もあり、私は昔から西の古い時代の文化に関心を寄せてきました。「東」の「今」から一番遠い距離にある文化です。

さて、お正月ということで「時代」(中島みゆき)の歌詞を見てみましょう。

・・・
そんな時代もあったねと
いつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう
・・・

唐突でスミマセン。

これはラテン語を学ぶ知人から教えてもらったのですが、ウェルギリウスの『アエネーイス』の有名な詩句とほぼ同じ趣旨のことを表現しています(元をたどるとホメーロスにいきつきますが)。

forsan et haec olim meminisse iuvabit. (Aen.1.203)
いつかこれらのことを思い出すことも、喜びとなるだろう。

この表現を含む前後の文脈は次の通りです。

「おお、仲間の者たちよ(我々はかつて様々の苦難を知らぬわけではない)、おお、より大きな苦しみを味わった者たちよ、神はこれらの困難にもやがて終わりを与えてくれるだろう(dabit deus his quoque finem.)。

おまえたち、スキュッラの狂乱ばかりか、その声の深くこだまする岩窟に近づいた者たちよ、さらにキュクロプスの岩石を経験した者たちよ。

勇気を奮い起こし、悲しみと恐れを追い払うがよい。きっといつの日か、今の苦しみを思い出して喜べる日も訪れるだろう。(forsan et haec olim meminisse iuvabit.)

様々な不幸と苦難とを乗り越え、我々はラティウムの地を目指すのだ。運命は、そこに安らかな住居ありと示している。かの地でトロイアの王国がよみがえることこそ、神の御意に適うのだ。忍耐せよ、そして幸い多き日のために、自らを守るがよい。」

ウェルギリウスの表現は慣れないと翻訳でも読みにくいです。

しかし、少なくとも forsan…のフレーズが伝えるメッセージは、最初に紹介した日本の現代の「歌」が余すところなく表現しているように思われます。

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