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以前「山びこ通信」に書いたエッセイを読み返していました。

>>自分で考える喜び――中学・高校生へ

これは7年前に中学、高校生向けに書いたものですが、学校の勉強に関しては今も同じように考えています。プライスレスという言葉がありますが、数字で評価できない「つきぬけた」価値を追求してもらいたいものです、中学、高校生には。

それには「誰がなんと言おうと面白いからやる」という価値観を子どもの頃から培う必要がありますが、よく考えると、幼稚園の子どもたちはそういう人たちばかりです。

以前少し書いたように、「面白いからやる」ということ、言い換えると「とことん遊ぶ」という経験をどれだけ子ども時代に味わうかが勝負だと思います。

そして、それが本当に大切だと信じる大人の存在が鍵を握るわけでしょう。

大人にとっては(保護者も先生たちも)、「想定内」で子どもたちが動くと「管理は楽」ですが、そのように「しつけ」てばかりいては、子どもたちに「自分で考える喜び」を追求しなさいと言っても、時既に遅しの感はあります。

私の意見は、大人こそが自分で考える喜びを日頃から追求すべき、というものです。大人が日頃実践していれば、子どもはその姿勢を見て真似をするでしょう。大人が安易な妥協を繰り返すなら、子どももそれをよしとするでしょう。

生涯教育といいますが、大人(保護者や先生たち)が自分で自分の考えの新陳代謝を日頃から意識して図っていれば、子どもの教育の問題に関して、あまりステレオタイプな意見を持たずに済むと思います。

その態度が子どもの自由を守ることにつながると思います。

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