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園長便りでお伝えしたように、12月に恩師上田先生にご講演をお願いしました。

先生のことは、以前山びこ通信の中で次のように触れました。

いずれにせよ、私の中のコドモは家庭教師の先生に救われた。当時京大理学部の院生であった上田哲行先生である。父は最初の面談で「受験勉強は教えないで結構です」と切り出したのを昨日のことのように思い出す。では毎回何をしたかと言うと、一冊の本を音読し中身について語り合う、という(一見)ありきたりなことであった。だが、実際にはこれがどれだけ貴重な経験であったことか。40年経った今も感謝の気持ちで心が満たされる。

先生は一冊の本を最初から最後まで丁寧に読むことの大切さを身をもって教えて下さった。『森のひびき―わたしと小鳥との対話 』(中村登流)から始まり、『ソロモンの指輪』(コンラート・ローレンツ)や『チョウはなぜ飛ぶか』(日高敏隆)といった啓蒙書の数々、また、『科学的人間の形成』(八杉龍一)など、中学生にはやや難解に思える図書も先生はあえて選ばれた。内容に関する作文は毎回宿題として課され、翌週懇切丁寧な添削を受けたことも忘れがたい思い出だ。

ただ、先生にも葛藤があったのかもしれない(あるいは受験を意識し始めた私への配慮だったのかも知れない)。高校時代に入ると数学や現代国語の入試問題を解くスタイルに変わっていった。しかし、ここが大事なポイントであるが、先生は私と同じ問題をご自分でも解かれ、同時に、私が納得のゆくまで考える姿をいつも横で見守り、適切なアドバイスを下さった(考える主体はいつも私)。

と、ここまで書きながら思い当たることがある。11年前、無我夢中で始めた山の学校であったが、そのコンセプトの源流は、今述べたような私の個人的体験に遡るのではなかったか、と。事実、私の目には、山の学校の先生の姿と上田先生の姿が重なって見えるのである。黒板を使った一斉指導ではなく、一人一人のニーズに寄り添い、じっくりと考える時間を何より大切する。そんな雰囲気については、本誌のクラスだよりでご確認頂きたい。

「『子どもは大人の父である』考 ―山の学校の目指すもの」と題したエッセイの一部です。

くしくも先生のご講演のタイトルも、「子どもは大人の父である―幼児にとっての自然―」ということです。本園が、また山の学校が目指すものについて、私自身認識を新たにする機会になるのではないかと楽しみにしています。

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