Ikuko Diary に「ぼくはミミズになりたい。」と言う子どもの声が紹介されていました。

なぜ突然ミミズ?と思わるかもしれませんが、実はその日の登園時に私も見たことがないくらい長い長い(ヘビのような)ミミズが山道にいて、そのことが子どもたちに大きなインパクトを与えたためではないか?と私は推測します。

この台詞は昨日の帰りの山道でも聞きました。これにたいし「カタツムリがいい」という子どももいました。そんな流れから「ぼくは野球選手になりたい」という年中児の声も聞かれました。

私は「ぼくはサッカー選手になりたい」とか「野球選手になりたい」という男の子の声を聞くと、きまってTVの「実況中継」をします。(アナウンサー)「ゴールー!○○選手みごとなゴールです。(←○○には園児のフルネーム)」、(私)「え?○○って、幼稚園にきていた○○ちゃんのことや!(驚)」といった具合に、未来の私が未来の○○ちゃんとTV画面で再会し、驚いている場面を自作自演します。これはけっこう受けます(笑)。

かならず「もっとやって、やって」とか、「ぼくは野球選手とサッカー選手」とか、あれこれリクエストが続きますので、それに応じているうちに、気づくと山のふもとに着いていたりします。

さて、表題の言葉を口にした Soui 君はつぶやき名人です(どのお子さんもそうなのですが、彼は「聞かせるせりふ」をよくつぶやいてくれます)。去年のヒット作はなんといっても、「先生がいてくれてよかった♪」で決まりでしょう。

たしか、去年ブログに書いたっけ?と思い「魔法」で検索すると見つかりました。
>>「先生がいてくれてよかった♪

あと、「おゆうぎの曲」というのもありましたね。

そうだ、と思って2007年の4月のエントリーを振り返っていると、見つかりました。>>「三日目

それにしても、昔何気なく書いた言葉も、今読み返すと別の味わいが生まれます。そして「三日目」のシーンは昨日のことのように思い出されます。

言葉に出すか出さないかの違いはありますが、S君の言葉は、同じお山の幼稚園の生活を経験している他の子どもたちの心の声を代弁しています。それは今いる園児たちばかりではありません。私自身の子ども時代の声でもあるでしょう。

彼の言葉に共鳴するのは、自分が園児だった頃、見ていたもの、感じていたものをまざまざと思い出すことができるからではないか、と思います。そして気づくか、気づかないかの違いはありますが、すべての子どもたちの声には、私たち大人の中に眠る「子どもの心」を呼び覚まし、思い出させる「魔法の力」が宿っているのだと思います。

気づくか、気づかないか、という点が重要です。(忙しいと気づかない)

そう書きながら、冒頭に引用した Ikuko Diary を見る度、私の心は曇ります(^^)。Ikuko 先生のブログには写真がいっぱい写っていますが、じつは、どれもお山のどこかに咲いている花ばかりです。Ikuko先生は知らぬ間に写真を撮りに行って戻ってきます。同じ山の自然を目にしながら、いったいどこにこんな花が咲いているのだろう?と私は自分の目の曇りを思い知らされます。

気づくか、気づかないか。そこに「ある」のに・・・。「しぜん」の目があると何でも見えてくるのでしょう。そして、子どもの声は、子どもの心を思い出せば、何でも聞こえてくるのですね、きっと。

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