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20日になりお山の蝉の声も7月とはずいぶん変わりました。子ども時代もそうでしたが、つくつくぼうしの声を聞くと、宿題をせかされる気持ちになります。小学校の1年のころ、夏休みに持ち帰る絵本的冊子があり、いろいろシールをはったり楽しい企画ものに混ざって「ちゅうとはんぱのはんちゃん」と題するお話が載っていたのを思い出します。なぜ覚えているかと言うと、主人公の男の子があまりにも自分にそっくりで、いろいろ計画的に進めることのできない子だったからです。

何をやりだしてもすぐに気持ちが違う方に向かうはんちゃんは、片付けずに散らかしてばかり。悪気はないのですが、目に入ったものを見るとすぐにそれに飛びついて、今までやっていたこと、やらないといけないこと(=たとえばお母さんに頼まれた用事)をすっかり忘れてしまいます。宿題はと言えば、8月後半になって「やらなきゃ」と思うのですが、すぐに「ま、いいさ」と言っては楽しいことを優先するのでした。結局彼はギリギリのところで反省を強いられる展開になり、「これからは計画的に宿題をやります」と誓うところで話が終わるので、大人側の意図は今だと見え見えなのですが、当時の私はこの本を読んだことをきっかけに、「自分もやらなきゃ」と思って少し前に動き出した記憶もあります。

三つ子の魂百までといいますが、今もこのことを書きながら自分の性格の基本はあまり変わらないなと思います(やりたいことをすぐ優先してしまう)。もちろん年を追うごとに自分の性格となんとかうまくつきあう方法を考えるので、表面的にまずいことは起こらないようにはしていますが、根っこの部分はあまり変わりません。

保護者と面談をしていると、その「変わらない」子どもの性格をなんとか「変えたい」というご相談がナンバーワンに多いです。私は残念ながら、上で述べたように自分自身そうなので、どのみち「変わらない」だろう、という説に一票入れます。かりにそうだとしますと、あとは本人がそれとどう付き合うかを自分で工夫する展開に期待をつなぐか、あるいは逆転の発想で、親として「変えたい性格」というものが実は「個性」と呼ぶほかないものであり、必ずや「なにかよいもの」がそこから将来生まれる土壌になっている、と逆の目でポジティブに信じていくか。そうできれば、お互い幸いなのではないかと思います。

この発想の転換がものすごく難しいことは百も承知なわけですが、大人として一番手軽にできることは、子どもを含む「他人」を変えることよりも「自分」を変えることです。つまり、まずは自分の性格をよく顧みるところから始めるとよいと思います。今までの思い込みを想像の世界において逆の価値観で表現してみると面白いです。「よい」と信じていた何かをその逆だと思ってみる(練習なので意図的に)。「だめだ」という何かを「とてもよいもの、得難いもの」ととらえなおしてみる。もちろん想像上の練習として、「いいは悪い。悪いはいい」と思ってみる。

ひらたくいえば、柔軟にものごとを捕らえる練習ということになります。ちょっと難しい言い方をすると、一元的な見方から多元的な見方への転換ということですが、そうこうしているうちに、これだけはどうしてもふるいにかけても落とすことのできないものというのが見えてきます。

心からの笑顔であったり、あいさつであったり。

ふるいにかけるのは、うわべのまにあわせ、慣習、顔を立てたり立てられたりに関わる諸々、などなど。思考の訓練でそぎおとしきれないものに出会えたら、それをつかんではなさなければ末広がりにうまくいくと私は思うので、この場でよくかくように、子どもの寝顔を見て生まれた時のことから今日にいたるまでを思い出せば、大事なものとふるいにかけても大丈夫なものの見分けがつくと思います。

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