昨日からいよいよ二学期がスタートしました。真っ黒に焼けた元気なお顔で登園してくる子どもたち。久々の幼稚園。

大人だとちょっと浮かれるんじゃないかと想像しますが、子どもたちにとって幼稚園はとても大事な場所、神聖な場所とさえ言えるのだ、とあらためて思わされたのは、始業式での子どもたちの立派な態度によってです。この姿こそビデオや写真で記録したいと心から思いました。

始業式は9時半からなので、私は時間通りに部屋に行くと・・・。あれ?まだ誰もいないのかな?と思うくらい、しーんと静まり返っています。部屋に入ると、みな胸をはって、じっとしているのです。けっして顔がこわばっているわけでもなく。見てくれ!と言わんばかりに。

年長組の子どもたちは特筆ものでした。式の最後まで胸をはっていましたので、途中で年中、年少児に「うしろをみてごらん」と思わず言おうかとおもったほどです。(思いとどまったのは、そうしてしまうと、逆に良い意味での緊張の糸を切りそうでしたから)。

そう言えば、一学期の終了式もこうでした。先生が無理に指導しているのではありません。年長のクラスでは、先生二人のあうんの呼吸で、「自分の好きなお友だちの横に座っても良い」というルールだったそうです。どうしてそうしたかというと、「ためしてみたかったから」(先生談)だそうです。

先生の認識では、背の順だとかのルールで座ると「しっかりできる」ことは十分予想できたそうです。であればこそ、今日は「自由に座って良い」ことにしたのだ、と。

ふつうは隣同士おしゃべりしたりしますが、「この子たちならいける!」という予感がしたので、自由に座って良いことにしたそうです。

それが裏目に出ずに(笑)、見事に式に臨むことができ、園長先生(=私)にもそれをほめてもらうことができたわけでした。

上の学年がしっかりすると、下の学年はそれを手本にします。上で述べたことは、年中、年少児も同じです。みな「あらたまる」という言葉こそ知らないだけで、全員が立派に「あらたまる」気持ちを経験していたと思いました。

学年を問わず、園歌を歌う姿勢の良さ。力いっぱい歌う声の大きさ(がなりたてるわけでなく)。いつも書きますが、姿は子どもでも、心は立派な大人のそれでした。

会が終わって部屋に戻るとき、年少児のある男の子がつかつかと私の前に来て言いました。「お話をしてくれて、ありがとう」と。言葉に心がこもっていました。

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