年長組さんの水泳教室が今日もありました。水泳に一生懸命取り組む子どもたちの姿を見て、自分自身の小学校時代のことをつい思い出しておりました。

私が子ども時代から踏水会は有名でしたが、通っている子どもはクラスでも数名程度でした。プールの時期になると、苦手な子どもがけっこういました。私もその一人でした。

検定試験の結果、帽子に「級」のマークをつけてもらうのですが、小1のとき、5メートル泳げたのですが、斜めに泳いだので、担任の藤川先生が「7メートルやな」とおまけで記録してくださったことを思い出します。

さて、夏休みは連日のように学校のプールに通う必要があったのですが、私はこれが嫌で嫌でたまりませんでした。一度、学校に行った振りをして家に戻ったことがありました。ところが、山道の中腹(園児の通園路と山の学校に向かう直線路の二叉あたり)で、運悪く祖母に出くわしました。祖母は一瞬にしてすべてを察知し、「今からもう一度学校に行こう」といやがる私の手を引いて学校へ連れて行ったのでした。

祖母は、学校に到着すると、プールサイドまでついてきて、そのときプールの指導に当たっておられた牧野先生に事情を告げると、「どうかよろしくお願いいたします」と深々と頭を下げました。

逃げ場を失った私は観念しました。牧野先生は両手で水をすくって目の前に差し出して下さいました。水に思い切って顔を付けることができ、以来なんとかプールに通うことができたのでした。

祖母は明治の生まれで、正義感の強い人でした。当時体も悪く、肺は片方しかなかったので、お山の石段下から自宅まで30分近くかけて登っていたほどですが、私の「弱い気持ち」に活を入れようと奮起してくれたわけです。

その後私が水泳選手にでもなれば、これもなかなかのエピソードなのですが(笑)、あいにく私は水泳に目覚めることもなく、可もなく不可もなしで月日が流れました。一つだけ覚えていることは、25メートルの検定試験のときに「犬かき」で挑戦し、調子がよかったのでそのままターンし、50メートル泳げたことです。今振り返ると、よくがんばったなぁという気持ちでなく、よく周りの人たちが、ゆっくりゆっくり進む私におつきあいくれたなぁ、という申し訳ない気持ちがこみ上げてきます。

と同時に、自分の弱音を厳しくとがめ、努力を引き出して下さった先生や家族に対して、しみじみと感謝の気持ちがわいてきます。スポーツは、できる・できないの結果が明白ですが、得意であろうとなかろうと、「子どものためを思う」大人の真心にふれる経験から、子どもは大事な何かを学び取ることができるのだ信じます。

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