今日は年長児に新しい俳句を紹介しました。何度か声を合わせた後、言葉の簡単な説明を行います。「遠山に」の説明をすると、「お庭から大文字が見える!」とか、「家族で愛宕山に登ったよ」という声があちこちから聞かれます。ゆっくり一人一人のお声を聞いていきたいのですが、私は心を鬼にして次の「夕日一筋」の説明に移ります。ここで、「一筋ってどういうことかな?わかる人?」と聞いて見ました。

すると、ある男の子が「一本の筋のようなもの」と答えたのですが、それも耳に入らなかったのでしょうか。4列目の一番通路側にいたAちゃんが勢いよく手を挙げました。「はい、Aちゃん」と当てると、Aちゃんはすっくと立ち上がり、「とおやまに・・・」と今習ったばかりの俳句を声に出し始めました。まだうろ覚えなので途中で止まりましたが、その結果はともあれ、一生懸命発表するぞ、という気持ちは痛いほど伝わってきました。ここで私は、全体のやりとりに耳を傾けていればやらないミスである(=よく話を聞いていなさい)ととがめることは可能ですが、それは野暮というもの。

「ああ、発表しようと思ったのだね。偉いね」とむしろそのやる気をほめて、座ってもらいました。

その後、「時雨かな」の説明を終え(今日は幸い雨降りの一日です)、時間の許す限り、全員で声をあわせて蕪村の俳句を朗唱しました。

日頃年長の先生の日誌を読んでいると、俳句をめぐる子どもたちの気持ちが伝わってきていろいろ学ぶところがあります。

どきどきしながら発表した子どもたちが「発表してすかっとした。鉄棒でぐるんと回れたときのようだった」と言った例だとか、周りの子どもたちが「やればできるって」と口々にエールを送って俳句の時間を迎えたことだとか、心温まる裏話がいっぱいあります。

今日は1回目なので、俳句の発表はしませんが、残すところ1週間。今年はあと一回しか俳句の時間が取れませんが、次回は一人でも多くの子どもたちに手を挙げて発表してもらいたいと願っています。(A君も次がんばってね)。

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