今日は新しい俳句を紹介しました。芭蕉の俳句です。

黙想する姿勢、俳句を学ぶ姿勢、ともに落ち着いて出来ていました。とくに友達の俳句を聞き朗唱する姿勢がよかったです。全員が一つになって取り組めていると実感できました。

ふと思ったのは、この子たちの一年前の姿です。たった一年、されど一年。幼稚園時代の一年はとても大きなものだと思わずにいられません。

「山はみな」の説明、「みかんの色の」の説明。みんなウンウン頷いて聞いてくれます。「きになりて」とはどういうことかな?と聞くと、「育てている木のことや」という答えが返ります。「ふつうはそう思うね。でもちょっと違う」と私。やや間があいて、「みんなが今お山を眺めるとどんな感じに見えるかな?」とヒントを出すと、間髪入れず、「黄色の黄や」と正解が返りました。一様に「おお、なるほど」という空気が部屋を満たしました。

さすが年長さん。一年前にはこのようなやりとりができるとは想像できませんでした。年長になれば「できる」という確信はもちろん毎年ありますが、年中児の一年先にこのような姿はイメージできません。大きくなってから小さい頃の写真を見れば、「面影がある」と人は言いますが、目の前の小さい子を見て、大人の姿をイメージできないのと原理的には同じです。

私が思うことは、今日の取り組みに現れた年長児の「今」は当たり前のように手に入る現実ではない、ということです。この1年、2年間の毎日の積み重ね、とくに年長に入ってからの日々の取り組みあればこそです。

逆に言えば、今の年少児、年中児の活動を保護者から見れば、「この子たちは年長になってはたして俳句ができるのだろうか?」と思える状態であっても、それが例年並みということでもあります。それでも1年先には全員一人残らず立派に俳句に取り組めます。今まで一度も期待を裏切られたことがないように、今の年少児、年中児も、来年または再来年に、必ず胸を張って黙想し、全員で声を合わせて朗唱し、指名されたら堂々と俳句の発表ができるようになるでしょう。そしてもちろん、三学期の劇の発表も立派に出来るはずです。

このような予言めいた言い方は、入園前のお子様についても毎年申し上げることであります。ご記憶でしょうか。必ず自分から笑顔で手を振って「行ってきます」が出来るようになります、年中、年長になれば下の子の手をつなぎ、励ましながら登園できるようになるでしょう、と毎年入園説明会でお話ししています。そして入園後、実際その通りになりました(ね?)。ただ、いったん出来るようになったことは、大人の目から見るとなんでも「できてあたりまえ」と思ってしまうものではあります。子どもたちが達成した1つ1つのことについて、「一件あたりまえに見えて、実は、あたりまえではないんだ、すごいことなんだ!」と思えるかどうか。ここに子育てのコツがあるように思います。

私は立場上、また、経験からいつもこのようなことを申し上げております。ただ、日々間近でお子さんに接しておられる保護者の中には、「本当にそうなのだろうか(何を根拠にそこまで言い切れるのか)?」とか、「うちの子は特別だ(だから当てはまらない)」、と疑問に思われる場合もなきにしもあらずです。間近で見れば見るほど、不安は大きくなります。そうして心配の渦中にいる方にとって、「心配ありませんよ。大丈夫です」という言葉は、安堵にもつながりますが、その通り受け取ってもらえない可能性もあります。そういうときは、入園前の不安がどう解消されたかを思い出していただくのが一番だと思っております。

「この子は言葉が遅いのですが」と相談を受けるときがあり、私はいつも「大丈夫ですよ」と答えます。ときには「大器晩成と言いますね」と言葉を添えます(もちろんお子さんのことを何も見ずにそう言っているわけではありません)。やがて年長になり、劇の発表を堂々と演じきったとき、私は入園当初のことを懐かしく思い出すものです。

「今」を基準にしか人間は「過去」も「未来」も見えません。今から過去を思い返せば、未来を見通す自信と勇気が得られると私は思います。

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