昨日年長組のクラスで俳句の時間を持ちました。今年度最初の俳句の時間です。背筋を伸ばして正座し黙想するだけでも、子どもたちにとってはドキドキする経験になります。大人もそうですが、子どもにとっても「心を落ち着ける時間」をもつ大事さというものがあります。

昨日は、心を落ち着けるために正座し黙想するのだということと、しっかり前を向いて先生の話を聞くことの大事さの二つをお話ししました。ついでに言えば、これらは年長組さんでないとできないことだとも。

この日は一茶の俳句を紹介しましたが、例年と違って言葉の説明は何もしませんでした。代わりに音楽の合唱のように全員で言葉を合わせ、繰り返し唱えました。言葉の説明は頃合いを見計らって行います。何度も唱え、言葉の響きが自分のものになったとき、「どんな意味だろう?」と思い始めるものです。説明はその頃に行う方針です。

小学校からの学校生活を視野に入れるとき、すべての取り組みの基本となるのは「よい姿勢」だと私は思います(勉強に限らずスポーツや音楽の取り組みについても言えます。また交友関係、社会的活動についても、本人の生きる「姿勢」がいつも問われることでしょう)。

そういうわけで、本園では創設以来毎年「俳句」の時間を大事にしてきました。私が幼稚園児だった頃、園長は父でしたが、俳句の時間だけは私の祖父が特別講師?としてやってきてみなに俳句を教えてくれました。何か特別な思い出として心に残っています。

本園が俳句を始めたきっかけは、「幼児と俳句」(この道50年所収)に詳しく書かれているのでそちらをごらんください。

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