園庭巡りの頃
4月中旬の園庭巡りの頃。咲いている花もこれからの花もあります。

去る19日、新入園児保護者会を開きました。少しでも安心して入園の日をお迎えいただけるよう、お話できる限りのことをお話させていただきました。以下はその補足的雑談です。

今、年少クラスの花壇にチューリップが芽を出しています。一年前の秋、球根を植えるときのことを考えてみます。

どの球根が一番最初に芽を出すのか?四月の入園式に花を咲かせるのはどれどれか?私には皆目見当がつきません。でも、必ずどの球根も春になれば花を咲かせます。四月の何日ですか?と聞かれると、「わかりません」としか言えません。

まして、相手は人間のお子さんです。100人いれば100通りの人生があります。

人生はわからないことだらけ、不思議なことだらけ。だから、ワクワク、人生は楽しい。そういうものです。もちろん、その分、ドキドキ、ハラハラもするわけですが。

でも、わかる人生ほどつまらないものはありません。私はいつもそう思うようにしています。

さて。チューリップの花の咲く時期として、私は「春になれば」と書きました。人間の成長も、そのくらいの大らかな把握をしたほうが、親にとっても、子にとっても適当なのではないでしょうか。

「見つめる鍋は煮えない」と言いますが、「自分の鉢」に自分が植えた球根の場合、他の鉢との比較が気になるのも致し方ないところ。それもまた人生。気にする人の道も尊いし、気にしない人の道も、同じ山道に違いありません。どちらも必ず、登っていけば山のてっぺんで出会えます。幼稚園の「ふたまたの道」がそうであるように(直進しても、右に曲がっても幼稚園に続いている)。

親がどこで何を思おうと、子どもたちは、5月の鯉のぼりが出る頃には、みんな親の目を気にせず園庭を走りまわっていることでしょう(子どもは大人以上に、四季の循環に忠実です)。

いずれにせよ、一つ言えることがあります。

お子さんは、必ず自分の意思で「一人で幼稚園に通う」と腹を決める日が訪れるという事実です。これは、(おそらく)植物や他の動物にはない、人間固有の「決断」です。

私は、今まで何百回も見てきました。涙を流しながら初めて親に手を振った子どもの姿を。

思えば、人間は「オギャー」と泣きわめきながら人生のデビューを飾るもの。節目、節目で泣くのが自然かもしれません。もちろん、大声で泣かず、心で泣くのも、よし。

会社の送別会で、涙を流すのがよいか、流さないのがよいか。こういう場合、どちらも絵になりますよね。(注: つまり、入園式で、我が子が泣こうが泣くまいがどちらも絵になると園長は言っているんだな、と理解していただけると嬉しいです)。

こう書きながら、歴代の「大泣き」のシーンをふりかえると、いろいろと懐かしい場面が蘇ります。あんなに泣いてばかりいた、手のかかったあの子が、○○部のエースで大活躍!へえー!?・・・この手のニュースはまさに幼稚園の先生冥利につきる大切な宝物。

四月からの入園。はじめて「社会」に一人で参加する第一歩。大人で考えても大きな決断が必要なはずです。

お子さんはもうすでに心の中で、自分の気持ちを固めておられるかも知れません。あるいは、入園式当日の日かも知れないし、入園して3日目のことかもしれません。

3年間の幼稚園生活全体から見れば、それが一週間先だろうと一ヶ月先だろうと、ほとんど同じです。大切な「その日」は必ず一度訪れることに変わりはないのですから。(何月だろうとお誕生日は一年に一度きり。何日であろうと大切な一日に違いはありません)。

ですから、それがいつであれ、多少涙が出たって、自分で手を振って行ってきますができたなら、家で赤飯をたいてお祝いしてあげてほしいな、と今から願っています。

ただし、そう思っていると、案外肩透かしを食う・・・。これも人生(笑)。

「信じて待つ」。私たちが桜の開花を信じて待つように。

ただし、どこに立ってそれを待つか。立つ位置には工夫が必要。

幼稚園の石段を思い浮かべてください。

園庭開放などで、今まで、何度かお子さんといっしょに登って来られました。どのようにして?とふりかえってください。「ともに歩みながら」です。親も子も、お山のてっぺんに「着くときを(楽しみに)思い浮かべて」、「ともに歩む」。

これに対するのは、親が先にてっぺんにいて、早く登りなさいと子どもを手招きする図式です。

お山の最後の石段を思い浮かべてください。みちくさを食いながらのんびり登るわが子を上から見ていると、つい「はやくー」と言いたくなります。

やはり、「いっしょに『その日』」楽しみに待ちながら、ともに歩む気持ちを持つ」。これが私の考えるベストな心のありよう。

これがうまくいけば、これから先どんな「その日」が待ち構えようと、家族でワクワク待つことができるはず。

山道は、歩いていれば、必ずてっぺんに着くときが来ます。

ふたまたの道を右に曲がっても、左に曲がっても。そう、信じてやっていきましょう。ぜひ。

関連記事: