フィナーレ
劇のフィナーレ。この晴れやかな笑顔を今年も、そして来年以降もずっと、ずっと。

園長だより9
年長児の劇の練習について――親子で練習することの意味――
※以下の内容は年長児保護者向けですが、他の学年の方も、来年以降の心づもりとしてご一読下さい。

本園で劇に取り組むのは今年で62回目になります。創立当時から年長児は毎年劇をやっています。それを見た年中児が翌年劇をやります。こうして受け継いだ「タスキ」を受け、今年も年長児全員が一丸になって練習に励んでいます。ご家庭のご理解、ご協力に深く感謝申し上げます。以下は、単に劇をよりよいものにするだけでなく、ひいては小学校からの教科への取り組みにもつながる話ですので、ぜひご一読願いたいと思います。

劇には台詞があります。練習の第一段階はそれを暗唱できるようにすることです。台本はひらがなで書いてありますが、園児一人でそれを読み、繰り返し練習することはできません。かりにできるとしても、大人がそばについて練習を見守ってほしいと思います。

まず、大人が手本を示し、それを子どもが声に出して復唱する。子どもには文字を見せないで、音だけに集中させるのが大事です。大人にとって「文字」は身近です。子どもにとって「文字」はあこがれです。

「文字」に興味を示す子どもを見ると、つい一人でそれに取り組ませたいという親心が出るのはわかります。あるいは本人が虚勢を張って(親に遠慮して?)「一人でできる」と口にすることもあるでしょう。ただ、小学校入学を控えた今だからこそ、文字には弊害があることも私は指摘しておきたいと思います。文字はいつでもそこにあります。だから、やる気がある子には「いつでも、どこでも、なんどでも」つきあってくれます。

でも、その利点があだになるのです。やる気にかげりがでると、「また、後でいいや」とついつい文字とのつきあいが億劫になってきます。本人にとって、その億劫な自分を見つめる時、自信を失い、自分を責めるようになります。このように見るとき、文字には長所も短所もあることがわかります。いわゆる諸刃の剣というものです。

かりに子ども一人でひらがなの読み書きができるとしても、言葉には抑揚が必要です。子どもが自分流に発声しても、それはひとりよがりの域を出ません。このシーン、このやり取りの中、どのような心情でこの言葉を発すれば良いのか?このような言葉のニュアンスまで、文字だけを「読んで」園児が前後関係からくみ取れるか?というと、私は無理だと思います。

では、私は劇を通し、そんな無理なことを園児に求めているのでしょうか。そうは思いません。アプローチの違いにヒントがあります。大事なのは目で読む「文字」ではなく耳で聞く「言葉」です。そして、そのお手本は親が示す(幼稚園では先生が補うのみ。クラス全員を相手にしていたら毎日数時間かかるゆえ)。台本を子どもに何度も繰り返し読んで聞かせていただきたい。子どもの発声を聞いて、「こうしてごらん」とその都度手本を示し、助言していただきたい。親の発声を聞いて、子どもは直感的に自分の台詞のもつ意味を正しく深く把握できるのです。

文字ではなく音ならどうしてそれが可能なのでしょうか。日常を思い出してください。親の表情、声色一つを通し、子どもたちはいかに多くのことを察知することでしょう。みなさんもお気づきのはずです。そうです、書かれた文字ではなく、発せられた言葉の響きから子どもたちは実に多くのことを学ぶのです。そして、その言葉を発する顔の表情がどれだけ大切なメッセージを伝えるかについても、です。子どもたちは大人の発する言葉から、言葉の意味だけでなく、多種多様な感情表現を学び、それをくみ取ることが可能なのです。

「漢字を知っている、ひらがななんて簡単!」と口にする子どもが最近増えてきました。たしかに知識としてはそうでしょう。しかし、ひらがなだけで書かれた絵本一つ、声に出して読めば、大人と子どもの違いは歴然としています。その違いに気づかせることこそ、大事な言葉の教育であり、その基本は家庭での取り組み(親による本の朗読も含め)にある、と思わずにいられません(これは第三者に委託できない)。

どうか、「もうこれでいいだろう」と油断することなく、最後まで練習を続けて下さい。親が子に手本を見せながら、ともに真剣に課題に取り組む習慣は、子どもがやがて本当の意味で一人で学ぶことができる(=文字から意味をくみ取れる)人間になる上で、最高の力になると私は信じております(大人が思う以上に「学びの独り立ち」には時間と手間がかかるものなのです)。

最後に、練習のコツを一言述べて終わりにします。先日「練習しようと呼びかけても乗り気になってくれない」という声を保護者からお聞きしました。食事と同じで、腹を空かせないとご飯は食べる気になりません。一度に与える量が多すぎないか、どうか。最初「おかわり!」と子どもが言ったとき、何杯もお代わりをさせてしまったのでないかどうか。「はい、今日はここまで。つづきはまたあしたね」と(心を鬼にして)8割くらいのところで切り上げるのが長続きするコツです。

本人のやる気を生かすも殺すも親次第です。子どもがやる気を示さないからと言って力尽くで練習させるのは間違っています。逆に子どもがやる気を示すとき、それに乗じてとことんつきあい過ぎるのも、燃え尽きる理由をつくるだけです。とくに、小学校に入ってからの勉強を視野に入れるとき、「太く、短く」より、「細く、長く」の習慣づけが大事です。私がいつも「五分でよいから繰り返し練習を」と申し上げるのはそのためです。どうしても、「太く」練習しないといけないときにはどうするか?「細く」練習する時間を一日に何度もとればよい。5分の練習を一日に3度確保する、等。歯磨きや手洗いは、そうしているはずです。

保護者にお願いしたいことは以上です。園での取り組みに関しては、私は子どもたちに劇とは「言葉のリレー」だと繰り返し伝えています。トラックを一生懸命走り、バトンを次の走者に渡す。ただ、それだけのことですが、それが本当に難しいことです。台詞を言うときより、他の人が台詞を言うのを見守るときが難しい。そのとき、どういう姿勢で待てばよいのか、誰を見ればよいのか?園では、話している人のお顔をしっかり見よう、と伝えています。あるいは舞台の袖にいるとき、どういう姿勢で舞台の上の友だちを応援するのが本当の応援と言えるのか?「心で応援する」姿勢とはどういうものか、園では繰り返し指導しています。

どれをとってみても、簡単なことは一つもありません。しかし、どれも小学校に上がってから、否、社会に出てから大切になることばかりです。幼稚園生活の有終の美を飾るためにも、子どもたちが本物の自信を得るためにも、どうか最後のお力添えをお願いしたく、思うところを書かせていただきました。最後までご一読有り難うございました。

geki
劇のフィナーレ

関連記事: