今日の保護者会で、勝軍地蔵のことに少しふれました。

北白川愛郷会のページによりますと、第一園舎横のお堂に安置されていた勝軍地蔵について、次のように書かれています。

瓜生山頂にある古墳の中に江戸時代中期まであったお地蔵様で鎧兜に身を固めています。江戸中期に照高院門跡(今の北白川宮の先祖)が疫病治癒のあらたかなお地蔵様として,現在のバプテスト病院横の小山の上のお堂に移し安置しました。

この「お堂」というのが第一園舎の横のお堂のことなんですが、建物としてずいぶん古くなったので、今は地主の禅法寺(造形大横のお寺)の境内に勝軍地蔵は移されています。ということで、いずれ取り壊される予定のあることを聞いています(時期未定)。私が子供の頃から見慣れたお堂なので人一倍愛着は感じますが、撤去後は子どもたちの遊べるエリアが広がるので、それはそれでありがたいと思っています。

第一園舎で幼稚園が産声を上げた時の経緯につきましては、一郎先生のかかれた『この道50年』より「保父誕生」をご一読ください。

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