卒園式のとき、子どもたちに何をお話ししようかとあれこれ考えました。
じっさいには「一人はみんなのために。みんなは一人のために」を選びました。
話そうと思っていた言葉の一つが「手は手を洗う」です。
子どもたちにとって手を洗うことは身近な行為です。
片手だけで手を洗うことはできません。
右手は左手を、左手は右手を必要としています。
相互扶助を意味する格言として「手は手を洗う」は西洋社会で知られます。
今年卒園した子どもたちはドッジボールが大好きでした。
リレーも大好きでした。上の園庭からスタートし、たんぽぽぐみへの階段をおり、ことりぐみの前、鉄棒の前をとおり、再び園庭へ。
スポーツには勝敗がつきます。
勝って大喜びする一方、負けて悔しい気持ちになる場面もあります。
どちらも大切な経験だと思います。
子どもたちの流す涙をどれだけ見たことでしょう。
子どもは素直なので、負け惜しみの言葉を聞くこともあります。
そんなとき、「手は手を洗う」を思い出してほしいです。
相手がいればこそ勝負ができる。このように解釈できるでしょう。
日本語にせよ外国の言葉にせよ、長い年月をかけて愛された言葉には深い意味があります。
そのような言葉はさまざまな場面で応用がききます。
自分の置かれた状況は特別なものに思えても、そうした言葉は「あるべき」考え方がどういうものか示唆を与えます。
「分断」という言葉があたりまえのように聞こえてくる時代ですが、「手は手を洗う」の言葉を今一度かみしめてみてはどうかと思います。
本園の子どもたちは、手をつないで幼稚園に通います。
「手は手をつなぐ」ということです。
年上の子は年下の子の手をつなぎます。
同じ年齢同士、手をつなぎます。
手をつながず、めいめいバラバラに歩くようでは列になって安全に進むことはできません。
手をつなぐことは自らの安全を守ることに加え、相互扶助、相互理解の心を養います。
本園の子どもたちは本当によく歩きます。
それは同時に人間相互の「心の絆」を深める機会を多く得ている、とみなすこともできるでしょう。
卒園児の子どもたちには、苦しいとき、つらいとき、自分の手を見てほしいです。
そして、多くのお兄さん、お姉さんにやさしく手をつないでもらったこと、そして自分自身が年下の子どもたちの手をつないであげたことを思い出してほしいです。