1学期保護者会を開きました。

事務連絡に続き、バレー部よりPRしていただきました。

残った時間を利用して、歩いての通園や、自然の中での日々の活動が未来の思い出の種まきになっていることを述べ、園と保護者が連携して、お子様の自立の一歩一歩を見守っていきたい、というお話をさせていただきました。

自然の中で学ぶこと(後半お話しした内容の補足)
「賢い子を育てるには?」という直球の質問に対し養老孟司氏曰く、「自然の中で育てよ」と。同氏によれば都会生活は意味あるもので埋め尽くされており、この世界に慣れすぎると、自然のような意味のわからない世界を「わからない」(だから面白い)と思わず、「意味がない、だからおかしい」と切り捨てる。これでは好奇心は育たない。賢い子、好奇心旺盛な子を育てるには、自然の中で育てるべし、とのこと。「自然」を「人間のかかわり」と言い換えても同じことが言える。本園の子どもたちは、自然と人間のかかわりの中で、日々多くのことを経験し、大事なことを学んでいる。二十歳前後の卒園児と再会すると、幼稚園時代の「点」と今の「点」がつながり一つの「線」になって見える。ひとり一人の「線」を束ねると、養老氏の主張は的を外れていないと実感できる。

幼児期の自然体験、原風景の形成について、冒険家の星野道夫氏はこう述べた。「子どものころに見た風景が、ずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり、勇気を与えられたりすることがきっとある」。たしかに子どもは自然の語り掛けを受け止める感性が豊かにある。ひとり一人に、この花が好き、この木が好き、ここから見える山の姿が好き、というものがある。なぜそうなのかはわからない。言葉で説明できない世界は広く、大きく、果てしない。

大人は「意味のある世界」に慣れ親しんでいる。これをやればこうなる、等、「正解」にたどりつく最短ルートを知っている。そしてそれを子どもに押しつけがちである。いわば山道のてっぺんに立って、子どもを手招きする立場である。だが子どもには急いで山を登る「意味」がわからない。子どもの好奇心(真の学びの原動力)を守る道とは、大人自身が子どもの世界に飛び込むことである。つまり、ふもとにから一歩一歩一緒に山道を上ることである。意味ある世界から見れば、もっとも手間暇かかる道であるが、これがもっとも人間の本性に即した自然な道なのである。子どもとともに日々奮闘する毎日は、子どもと大人双方にとって、豊かな未来の思い出づくりの一歩一歩となる。

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