以前新聞に寄稿した記事を読み返しました。以下の通りです。

古代ギリシアの英雄ヘラクレスは岐路に立ち、安逸で快楽に満ちた道か、困難を伴うけれども真の栄光に続く美徳の道か、どちらを選択するか思案した末、後者の道を選びました。このエピソードをふまえ、英語には「ヘラクレスの選択」(The Choice of Hercules)という表現があります。

幼稚園生活を送る子どもたちは、単に好きなことをして遊んでいるだけではありません。さまざまな人間関係の中でわがままを通せぬまま、逃げずに現実に直面することで「ヘラクレスの選択」を行う機会を得ます。幼稚園の先生は、一人一人の心の声に耳を澄ませながら、本人が自らの意志で勇気ある選択を行うよう言葉を選び、励まします。

ある年長クラスでの出来事です。体育指導の取り組みの中でちょっとしたハプニングがありました。上靴が脱げたといって「僕はもうやらへん」とだだをこねる男の子が現れました。一度へそを曲げるとなかなか元に戻りません。目には涙も浮かべています。そのとき担任は静かにこう言いました。「先生は、Aちゃんがやらなくても別にかまわない。でも、Aちゃんはそれでいいの?」この言葉でAちゃんの心に火がついて、その後は力一杯取り組むことができました。

安易な道を選ぼうとする子どもに対し、「それでいいのかな?」と問いを出すことが励ましの基本です。それは叱って言うことを聞かせるやり方とは違います。罰を与え叱咤するやり方は、「この子は厳しく言わなければ何もできない」という前提に立つのに対し、励ますやり方は子どもの自主性を尊重します。ただし、日頃から子どもと信頼関係を結ぶことがなければ先生の言葉は子どもの胸に届きません。「この子はきっと~できるはず」。先生が一人一人の内なる可能性を信じることからすべては始まります。

二千年以上昔のローマ文学に次の台詞があります。ある父親が自分の教育方針について語る場面です。「罰を恐れて義務を果たす者は、事がばれるのを恐れる間だけ気をつければそれでいい。ばれずに済むと思ったら、また自分のしたいことに取りかかる。一方、思いやりの心で結ばれた子どもは、何をするにせよ心を込めて行うもの。親に恩返しをしようと努め、親がいてもいなくても変わらぬ自分でいるだろう。父親のなすべきは、息子が脅されてではなく、自分の意思で正しく行動できるようにしつけることである。この点で、父親は奴隷の主人とは大違いだ。このしつけのできない者にかぎって、子の教育がうまくいかないと告白する羽目になる」。

子どもをどう教育するか。古今東西変わらぬ大きなテーマです。私は子どもの「ヘラクレスの選択」を信じて見守ることが、何より大切な第一歩だと思います。

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