今日は新しい俳句を学びました。

柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺 子規

先週は、「しっかりきくこと」の大切さを伝えました。何度も同じ俳句を繰り返していると、「わかっている」とか「知っている」という空(から)自信が芽生えるケースがあります。自信は自信でよいのですが、その態度が「しっかりきくこと」を阻害するばかりか、一生懸命取り組んでいるまわりのお友だちの迷惑になるケースもあるのです。

何事も最初から完璧ということはありません。私は俳句を通し、子どもたちの学ぶ態度に注意を払います。そして、大事だと思うことをしっかりと伝えます。

そんなわけで、先週は運動会のリレーのことから話しを切り出しました。「どちらのクラスもリレーは立派でした。勝っているチームは勝っているからと油断せず、最後まで一生懸命走りました。負けているチームも、最後まで追いつき追い越そうと一生懸命がんばりましたね。ここにいる誰もが、途中でバトンをポイと投げたりしなかったです。さて、バトンを渡すように、幼稚園では先生が、また、お家ではお父さんやお母さんが、みんなに何か大事なことをお話してくれます。そのとき、みんなはお話しをしてくれる人のお顔をしっかり見て、しっかりその言葉のバトンを受け取っていますか。よそ見をしたりしてはいけません。リレーの時と同じですね」と。

年長児になると、せっかく相手のためによかれと思って言ってあげたことでも、相手がうれしく感じなかったり、そっぽを向いたりといった形で、なぜなんだろう?と言葉の受け渡しでのつまづきにとまどいを感じるケースが毎年あります。渡し方に問題がある場合、受け手に問題がある場合、両報の場合、さまざまです。同じことは、じつは先生と子どもたちとの言葉のやりとりにも言えるのです。慣れてくると、先生のお名前をわざと呼び捨てにしてみる、とか。バトンで言えば、相手の手に届くようにしっかり渡すことをわざと避け、ちょっといたずらっぽく、投げてみたり、違う方向に飛ばしてみたり。

大人相手だと、大人は子どもの本心をある程度見抜けるので、そんなことで腹を立てたりはしませんが、子ども同士であればどうか。ちょっとした微妙な言葉の強弱で、微妙に傷つくこともゼロではないでしょう。

要は、言葉を使うとき、相手のことを思って丁寧な態度でお話しはしないといけない。相手が話すときには、しっかりと聞かないといけない。バトンの受け渡しと同じこと。今日も、「言葉はバトンと同じ」と注意する場面がありました。

さて、今日の本命は新しい俳句の紹介と、ここ数日来たくさん届くようになった園児の俳句の紹介の二本立てでした。

Rちゃんは、前回Y君が見事なラミネートに自作の俳句を仕上げてもらって提出したのに感化され、たくさんの俳句をラミネートにパックして届けてくれました。

その一つ一つは実に子どもらしいユニークな作品ばかりなのですが、「みんなであそんだら たのしいな やっぱりね」など、厳密に言えば、575のリズムには合致していません。このまま紹介すると、きっと誰かが「それ、575と違うよ」と指摘するだろうと予想しました。

そこで、私は先手を打って、次の俳句を紹介しました(尾崎放哉の句です)。

せきをしても ひとり ほうさい

「これは575ではありませんね。でも、幼稚園をお休みしたとき、一人でお家にいると寂しいね。みんなもこの俳句の気持ちはわかるね?」と述べ、このような形でもかまわないことを伝えた上で、子どもたちの俳句を紹介しました。

別の女の子の俳句に、

かえるは かわいいな とんでた ほしいな

というのがあります。この子には「とんでた」で止めることができないくらい、そのかえるを欲しいという気持ちがまさっていたわけです。

さて、こうしていくつもの俳句を次々に紹介した後、最後に合計14句を作ってきてくれたKちゃんの俳句を立て続けに紹介しました。「はんみょうは どんどんすすむ みちのうえ」など、虫好きの気持ちがよく表れている俳句ばかりでした。

しかし、時間がだいぶ経過してしまい、途中から子どもたちの間に中だるみが生じてしまいました。そこで、冒頭に書いた「リレーのバトン=言葉」というお話しを少ししたわけです。「俳句を作った人の言葉をしっかり聞くように」と。

しかしながら、こうして言うべきことを言いつつも、私は今後自分のやり方を一点改めようと思いました。よかれと思って全部紹介したのですが、子どもたちが正座をしながら集中している時間には限りがあります。そこで、一人の子どもの俳句は原則として一句のみ紹介することにいたします(園児俳句集には全部もれなく記録しますが)。俳句をクラスの先生に提出するとき、どれを読んでもらうか、自分で決めてもらうことにし、残りは、クラスで担任から紹介してもらいます。

とくに、次回から、いよいよ覚えた俳句を皆のまで発表する(ただし、できる人のみ)という時間も設けますので、園児の俳句を紹介する時間は短縮する必要がどうしてもありますので。

私自身が時間配分を意識することは、ある意味、575に何かを凝縮する態度とつながるように思うこのごろであります。(といいつつ、このエントリーは字数制限を無視してしまいましたが)。

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