学校教育について議論されるとき、学力の問題が取りざたされますが、数字で測れること以上に大事なことがあります。

おもしろいと思って取り組んでいるかということです。ドリルなどしんどくてもやらないといけないことは確かにあります。学校の勉強はある段階から、自分で自分を励まして取り組めるようになる子と、言われないとやらない子、言われてもやらない子、に分かれます。

私は「本を読んでもらう経験」が「本を自分で読む経験」の根っこを支え、それがその後の人生において大きな意味を持つ(たとえば進んで学ぶ原動力になる)とみています。

本はたくさんそろえる必要はありません。学校の教科書だけを親子で一緒に読み合いしてみても面白いです。読書百遍義自ずから通ず、といいますが、本当に100回繰り返し読む経験をした人は少ないです。でも、やれば「なにか」会得します。

好きな本を何度も繰り返し読む。あるいは読んで聞かせてもらう経験は貴重です。

「大切なことを丁寧に繰り返す」原体験になるでしょう。

時間がありあまるほどある今。あれもこれもと手を広げるより、少しのものを大事に、何度も繰り返す経験を子どもたちにはさせたいものです。

しゃがめばジャンプできます。しゃがむ経験をさせずにジャンプ、ジャンプと繰り返しても、自信を失います。

読み聞かせのヒントを一つだけあげるなら、意識して「ゆっくり読む」ということです。同じ本でも意識してゆっくり読んでみると、子どもの反応は変わります。

ということで、山びこ通信最新号に書いたエッセイをご紹介します。

中高生の読解力低下が深刻な問題として報道されるようになりました。科目を問わず教科書の日本文の理解がおぼつかなくなっているとのこと。このことを裏付ける様々な報告やデータの類に目を通すと、授業中に苦労を余儀なくされている子どもたちの姿を思い、暗澹たる気持ちになります。

 学校の勉強を支える基本は国語(日本語)の力であることは間違いありません。社会に出てからも同様です。ではどうやってこの力を伸ばすことができるのでしょうか。読書が大事な役目を果たすことは言うまでもありません。だからといって子どもたちに読書を強いるだけでは、本嫌いを量産するだけでしょう。子どもが本を読むことを好み、自ら進んで読書に親しむには、家庭での読み聞かせと音読の習慣が大きな鍵を握っています。

 読み聞かせは、できれば小学校高学年になるまで継続していただきたいです(就寝前の十分などに)。幼稚園時代は絵本を一緒に見ながら親が文章を音読し、小学校の子どもには絵のない本をそのまま朗読します。小学生向けの児童文学の傑作は無数にありますが、親自身が読んで面白いと思える本を選択し、子どもに読んで聞かせます(子どもと交代で読み合うのも一案です)。何日もかけて一冊の本を読み切ることは親子双方にとってよい思い出になるでしょう。

 子どもは幼稚園時代から文字への憧れを持っています。読み聞かせが習慣になっている家庭では、子どもは幼少時代から見よう見まねで音読を始めます。それはよい意味で一種の遊びなので、小さいうちはたどたどしい読み方でもそのままにしておくのがよいでしょう。最初から細かな読み方のチェックをすると、やがて音読そのものを嫌悪するようになります。読み聞かせを通じて親が音読の手本を示しているので、変な読み方が身につく心配はありません。

 小学校に上がれば、国語の教科書を開け、一緒に音読の練習に付き合ってください。これを子ども任せにする家庭が多いようですが、子どもは自分一人の力で最初から上手に文章を読むことはできません。親が手本を示し、子どもに復唱させるところからスタートします。自分一人で詰まらずに最後まで読めるようになっても、繰り返し練習することの大切さを伝え、じっくり丁寧に練習に付き合ってください。親も子といっしょに文字を目で追い、間違った読み方に気づけばその都度指摘します。

 中学に入ったら、自分で音読の大事さに気づいてほしいと思います。学年と科目を問わず、音読は「読めば読むほどよい」ものです。「読書百遍意自ずから通ず」は現代にも通じる金言です。キケローに「肉体は鍛錬による疲労で重くなるが、精神は鍛えることで軽くなる」という言葉がありますが、たしかに運動場のランニングは一周目より十周目がヘトヘトになるのに対し、音読の場合、読めば読むほどスラスラと楽になり、読み通すのに必要な時間も短くなります。ためしに英語の文章を声に出して読んでみましょう。ストップウォッチをもって測定すると、一回目の読みに要する時間より、十回目に読む時間は大幅に短縮し、さらに理解も深まるのでお勧めです。音読を十分に練習した人は、黙読、精読、速読のコツも自然に会得できるでしょう。

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