表題は英国の詩人の言葉として知られます。

司馬遼太郎氏はこの言葉にふれて次のように述べています。

私の中の小学生が、物や事を感じさせてきて、私の中のオトナが、それを論理化し、修辞を加えてきたにすぎないのかと思ったりします。もっとも心にコドモがいなくなっているオトナがいますが、それは話にも値しない人間のヒモノですね。(『こどもはオトナの父―司馬遼太郎の心の手紙』、神山育子著、朝日出版社)。

先日の保護者会で、大人は自分の中のコドモを守ることが子どものコドモと対話する上で大切、という話をしました。他方で、幼稚園をはじめとする学校は、子どもの中のオトナを守り育てる所でもあります。

要は、私たち大人は、自分の中のオトナとコドモのバランスをとることを求められているということです。

美しい花を見て、いっしょに「きれいね」と語りあうことや、就寝前に絵本をともに楽しむ時間をもつことが、バランス維持のうえで大事な一歩一歩となるでしょう。

保護者会の翌日、ある年長児に「園長先生は半分コドモやな」と言われ、ドキッとしました。おうちでお母さんにそう言われたのでしょうか(笑)。名誉な言葉ではあります。

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