今日の始業式で、私は年長児に、自分で判断し行動する大切さを伝えました。

すでに新聞でご覧頂いたかもしれませんが、4/2の朝日新聞朝刊にて、私の「令和」についてのコメントが紹介されました(画像参照)。

私の意見は、「令」は「命令」の「令」であるが、内なる「令」であるべき。「和して同ぜず」と「同じて和せず」の比較において、外からの「令」は「同じて」を作るが、「和」は作らない。内なる「令」は「同ぜず」に見えるが、本当の「和」を作る。というものです。

1時間ほどのインタビューをふまえ、私が言いたかったことの要点を簡潔にまとめてくださった記者さんには感謝申し上げます。

なお、「和して同ぜず」の見本は、園庭で生き生きと遊ぶ子どもたちの姿です。

みなやっていることは「同じではない」(=同ぜず)。
自分のやりたいことに真剣に取り組んでいる(=自分の心の中で「あれやろう、これやろう」と指示、命令を出している=「内なる令」に満ちている)。
全体の空気は調和している(=和して)。

「同じて和せず」とは。命令によって見た目の「同じ」を演出する。しかし、心の中はみなバラバラ(=和せず)。例はあえてあげません。

私の意見は「令」をポジティブに解釈する可能性を排除するものではなく、ネガティブに解釈しているわけでもありません。

和英で調べれば、order, commandという訳語を無視できず、その場合、どう理解すれば教育に身を置く者として、この元号をポジティブに解釈できるか、の意見を述べたに過ぎません。もちろん、これが正解と言うつもりは毛頭なく。

ついでながら、心の内なる声に従うことの大切さについて、そうしてはじめて責任ある自立した人格が形成されることについて、また、そこにこそ「自由」の精神が宿ることについて、私は拙著「お山の幼稚園で育つ」で詳述しています。

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