本園で俳句をなぜ取り入れているのか、といえば、俳句は子どもの心に大人の言葉として響くからです。

そして、子どもの心は自分を子どもと思わず、大人と同じ人間である、と思っています。

俳句を声に出すとき、子どもはそのことをリアルに実感します。

年始になれば、家族で集まり百人一首に興じる機会もあるでしょう。

一部の人を除き、大人にとっても和歌の内容は耳で聞いても今一つピンときません。もちろん、それでよいのでしょう。

内容の解説を聞かなくても、百人一首は楽しめます。その点で、子どもも大人も変わりません(意味がわかるからたくさん取れるわけではないです)。

意味がわからなくても、音の響きで「何か」を心に感じ、日常と別の世界に心を遊ばせることができる、という点で百人一首は昔から家庭に浸透しています。

内容の理解よりも、音を耳にし、声に出すことが大事、テストに出るからやるのではなく、楽しいから取り組むことが大切・・・。

その感覚と同じ感じ感覚で、私は子どもたちと俳句を楽しんでいます。

(本園で俳句をやっていると聞くと早期教育、スパルタ教育を推奨していると受け取る方もいるかもしれませんが、事実はその逆です)。

この話題を掘り下げて、下記エッセイをかきました。

>>素読と子どもたち

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