幼児教育と直接関係のない話です。

日本語は明治以降たくさんの和製漢語ができました。

日頃、何気なく使っている漢語ですが、歴史の浅いものが少なくありません。

そのため、わかるようでわかりにくい感じがそうした言葉にはつきまといます。

辞書が必要になりますが、「言葉を噛み砕く」方法をお示しします。

日本語→和英辞典→英和辞典→語源→羅和辞典

具体例を示しましょう。

「勉強」→study→studium(ラテン語)→「情熱、熱意」
(日本語1)→(英語)→(ラテン語)→(日本語2)

「生徒」→student→studens(ラテン語)→「情熱を傾ける人、得ようと努める人」
(日本語1)→(英語)→(ラテン語)→(日本語2)

「情熱を傾ける人」というのは、「一所懸命頑張る人」と言いかえられます。

幼稚園の子どもたちも立派な studentであると言えるでしょう(もちろん理屈の上の話です)。

一方、ノーベル賞を取る学者(スカラーはギリシア語で「暇な人」の意)も、生涯一人のstudentです。

学者はstudentであるとして、何を得ようと努めるかと言えば、veritas(真理)となります。

真理が何かという話になると、哲学の出番です。

「哲学」→philosophy→philosophia→「知を愛すること」
(日本語1)→(英語)→(ラテン語)→(日本語2)

難しそうな「日本語1」がわかりやすい「日本語2」に変換されました。

ところで、学問の世界で何を知ることを愛するか(=情熱を傾けるか)といえば、今あげた「真理」(veritas ウェーリタース)となります。

一方、幼児の世界でも「哲学」は健在です。子どもたちは、目を輝かせて、「知を愛する心」を毎日発揮しています。

そう考えれば、「幼児は哲学者である」と主張することは可能です。

日本語では妙ですが、ヨーロッパの言語のつながりでは成り立ちます。日本語だけで考えていては思いつかない視点です。

最後におまけでもう一つ。

「社会」→society→societas→「仲間関係、親交、友愛、絆」
(日本語1)→(英語)→(ラテン語)→(日本語2)

社会とは何か。平たく言えば、仲間関係、絆のことです。

society をさらに遡れば「仲間」、「友」を表すsocius(ソキウス)という語に由来します。

社会意識を持つとは、自分以外の他者のことを考える気持ちをもつことだと言えるでしょう。

これこそ、幼稚園で子どもたちが毎日経験し、学んでいる内容です。

ラテン語をやると、難しい日本語を「かみ砕く」視点が得られます。

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