二学期の保護者会:子どもへの言葉がけ──園長日記より

今日は二学期の保護者会を開催いたしました。

事務的な諸連絡につきましては、園内の「お知らせ」を通じて再度お伝えさせていただきます。

「子どもへの言葉がけ」ということでお話しした内容は大まかに言って以下のようなものでした(である調ででまとめます)。

———————–以下要約———————–

子どもは大人の言葉に鋭敏に反応する。それは俳句の作例を見ても明らかである(大人の言葉使いをする事例)。

子どもが心を動かすポイントは、大人と別のものではない。

大人は大人という立場から、また、子どもにはない語彙の豊富さに依存する形で、目の前の子どもに言葉を発することが多い。それは、しばしば命令文の形をとる。

言葉の強さに5つのレベルがあるとして、ふだんは1か2ですませるとよいが、命令文の場合、ついついレベル3以上を多用しがちになる。そうすると、肝心なときにレベル6や7で勝負しないといけなくなる(親もしんどい、子もしんどい)。

レベル1か2ですませるには、日頃、子どもと顔を合わせていない時間帯(=子どもが園に行っている時間帯など)が肝心となる。このとき、心の中であれこれやりとりしていただきたい。たとえば、過去をふりかえり「あれは言わなくてよかったな」と言ってみたり、未来を想像し「もしこういう状況になれば、こう言おう。いや待てよ、こういう言い方の方がよいかもしれない」といった具合に自問自答する。

これは一人でできる。自分が子どもになってみること。

子どもの自分が大人の自分の言葉を聞いたとき、どう感じるだろうか?と思って自問自答するのがコツである。自分の言葉に「なるほど」と思えるか、どうかがチェックポイント。

日頃から、客観的に(=他人の目で)自分の言葉に耳をすますには、ぜひご主人とも言葉のやりとりを重ねて頂きたい。その中で、レベル4,5とは具体的にどういうときなのか?二人でよく打合せていただくのがよい。もしかすれば、それはお父さんの出番かもしれない。

子どものしつけという観点でいえば、命令文の多用は必然であるが、親と子の言葉のやりとりは、それに尽きるものではない。

きれいな花をみて、「きれいね」と言葉を交わすとき、大人と子どもの関係を超えて、心を通わせている、と言える。「きれいね」に代表される親の肯定的な言葉の表現は、子どもの心に安心と落ち着きを与える。このような共感の言葉のやりとりは、自然な形で親子の信頼の絆を深める。

この信頼という点に関して言えば、親はしばしば子どもが約束を守らないと口にする。では、子どもは何というのだろう?

子どもは親もそうだと思いながら、思ったことをうまく反論できない。語彙の不足ゆえ地団駄を踏んでいる(たぶん泣いたりすねたり・・・)。

一例を挙げる。

子どもの立場に立つと、「ちょっと待って」とか「後でね」という親の言葉は立派な約束である。これを誠実に守った上で、親は子どもに「約束を守ろう」と呼びかけることができる。

何でも親が言うことを聞く子どもが理想なのか?と自問することも大切かもしれない。「反抗」という言葉は親にとって便利な言葉だが、子どもの心を代弁すると「自立」と無縁の言葉ではないはず。子どもの自立の芽を生かすも殺すも親の心がけ次第と言える。

相互の信頼の絆をどのように大事にしていくか?

以下、そのヒントの補足。

絵本を読んでくれる親の言葉は、穏やかで美しい響きのまま子どもの耳に届く。兄弟、姉妹のいる家庭では、兄、姉に照準を合わせて本を選ぶのも一案。日常生活は、弟、妹に照準を合わせざるを得ない。絵本の読み聞かせは、それを逆にする。兄、姉は親の言葉を独り占めしていると受け止める(これは自分のために読んでくれていると理解する)。弟、妹は背伸びしたいという願望が元々あるので、多少難しくても苦痛ではない。

題材は絵本に限らない。親が自分の子ども時代の思い出を語っても、それは絵になる。それは世界に一つしかない物語。子どもは嬉しく親の言葉に耳を傾ける(このリアクションは子どもだけでなくご主人も同様)。

以下、「言葉」について余談。
「言葉が遅い」というご相談を受けることが近年増えた。私は今まで「大器晩成という言葉があります(=じっくり見てあげて下さい)」とお返事してきた。卒園式で、この期待を裏切られたことは一度もない。

「早い、遅い」(or 多い、少ない、高い、低い)といった数値化できる基準によるのではなく、自分がその子どもになったとき、周りがどのように見えるのか、心の中で追体験していただきたい。

自分を励まし、支える言葉がちゃんと聞こえてくるか、どうか。

どの子にも自立の一歩一歩の階段がある。それぞれ違う道が与えられているはず。本人がいつか自分の人生を振り返り、「自分は自分の道を歩いてきた」と振り返ることのできる日は必ず訪れるし、ぜひそうあってほしい。逆に、「これは自分の道ではなかった」と将来振り返ることこそ本当の不幸であり、悲劇である。

遅くても、早くても、誰もがその一歩一歩を登るべく努力している。親の目には別の道に見えても、また、その歩みがどれほどゆっくりに見えたとしても。

以上、メモとして箇条書きしました。

今日は「こどもへの言葉がけ」というテーマでしたが、つきつめると、一人一人の人生の道を心から応援しましょう、という呼びかけをさせてもらったのかもしれません。

ご出席頂き、ご静聴頂いた保護者の皆様に感謝申し上げます。

(2010.9.8)

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