『しろねこ しろちゃん』――絵本通信より

『しろねこ しろちゃん』

森佐智子/文、MAYA MAXX/絵、福音館書店2002年初版(1954年『母の友』掲載)

「あったあった、この本だわ」と、背伸びをして本棚の上から2段目にあったこの本を久しぶりに手にしました。強いくらい輪郭のはっきりした表紙の猫の絵は、MAYA MAXX(まや まっくす)さん。彼女は金髪の個性派日本人画家で、本の表紙やCDジャケットなどさまざまなジャンルで活躍中のイラストレーターでもあります。私がこの絵本に出会って数年後、何気なくテレビをつけたらNHK番組(課外授業ようこそ先輩)に出演中で、先輩として自分の母校の小学生たちに「幸せをかく」というテーマで熱い授業を展開しているところでした。お陰でより深くこの絵の作者について知ることが出来た経緯がありました。

この「しろねこ しろちゃん」の絵本との出会いはもう10年も前だったかしら?と思い、この「こどものとも年少版」を裏返して発行年を見ると、2002年4月1日とあるのでつい5年前のことになります。他の絵本のように書店で気に入って買い求めたわけではなく、お話自体はどこにでもある大変シンプルなものですが、私にとっては不思議に深く考えさせられる、またなぜか気になる一冊となった思い出の本なのです。

この今から5年前の4月、元園長室でお仕事をしていたらちょうどお昼時間になり、隣のクラスからは子どもたちのお弁当のよい匂いが漂ってきていました。いつも共にお仕事をしていた故一郎先生は、すでにお食事の部屋へ行かれ、私もそろそろお昼を摂るために直ぐ下の自宅に戻ろうと思いつつ、ふと横にあった月末にお配り予定の「こどものとも4月号」の一冊を手に取り、パラパラと何気なくめくっていくと、とうとう最後の2ページでは涙が止まらなくなってしまいました。困ったのは私本人です。自分でもなぜ涙が溢れてきたのか理由がわからず、お話は至って素朴でシンプルなのになぜか涙が止まらない、他の絵本では今までこのようなことは勿論なく、こんな経験は初めてのことでした。何か心の底の深いところの思いがあるのかも知れないと一呼吸して涙が止まったところで、そんなところを人に見られなくてよかったと胸をなでおろしながら、理由はまあ由としたまま時が過ぎていきました。それを、今回を機会に思い出し、絵本の内容と自分のことをじっくり振り返ってみることにしたのです。

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まっ黒なお母さん猫から4匹の子猫が産まれ、みんなどんどん大きくなっていきます。4匹のうち3匹はまっ黒、ただ1匹だけが真っ白で、それがこの絵本の主人公の「しろちゃん」です。しろちゃんは大きくなるにつれ、お母さんもお兄さんたちも真っ黒できれいな毛をしているのに、自分だけが真っ白なことが気になりだし、とうとうわざと体を汚してみたり泥の中で転げまわって泥だらけになって少しでも黒くなろうと試みますが、結局はお母さんにきれいに舐められて元の真っ白にされてしまうのでした。そんなある時、「きょうは、お父さんが帰っていらっしゃるからきれいにして待っておいで」と、しろちゃんのお母さんが子ども達に伝えます。

しろねこしろちゃんは、このお母さんの言葉から、他の兄弟のように当然大喜びはできません。自分だけが真っ白であることが恥ずかしく悲しくなって、とうとう家から出て行きます。ところが、うつむいて歩く途中で一匹の大きな立派な白い猫とすれ違い、しろちゃんはただ嬉しくなって後ろからついて行きました。やがて家の中に入ったその大きな白い猫こそが、子どもたちのお父さん猫だったことがわかります。真っ黒の兄弟もお母さんもとても嬉しそうに描かれていて、何より一番嬉しそうにしているのは、お父さんの後ろに座っているこのしろちゃん自身のようでした。

今はこうして絵が添えられて2005年にはハードカバーの絵本になって出版されているこの文章も、さすがに今から約50年前の文章(1954年の福音館出版の母親向け月刊誌「母の友」に「こどもにきかせる一日一話」として初めて掲載)だけあって、当時の古き良き時代の香りが漂っています。それは、私自身の幼児期に近い時代でもあり、そういう思いで当時を振り返ってみると、とても『懐かしく思い出される情景』が浮かんできました。

私は小さな頃、夕方の決まった時刻になると、玄関から「ただいまー」と帰ってくる父の帰宅がとても楽しみで、靴を脱いだ父の足元に妹と我れ先にしがみついてはそのまま父が洗面所に歩いていくままぶら下がっていたほどでした。今思えば、それは私たち子どもの待ちに待った思いでもあり、また何より母の思いでもあったのだろうと思います。母は、父の帰宅時間が近づくとエプロンをしていつもの通り台所に立ち、暫くするとご飯が炊けてお汁物の湯気があがっていました。帰宅後の父が着替えを終えて洋服ダンスがカチンと閉まると、すぐに皆で食卓に集う毎日がありました。

そんな、当たり前の些細な日常のワンシーンが、この「しろねこ しろちゃん」の文と絵を見た私の心に響き、懐かしい子どもの頃の思い出が遠い過去から湧き上がってきたのだと解釈して、ようやく勝手な涙の謎にその落ちがついたように思えました。

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今は、当たり前のことが案外実現しにくい時代でもあります。私自身、幼稚園と自宅、または山の学校を行きつ戻りつして(お山ですから当然ですが)、夕食の時刻に家族が揃って食卓につくことなどは難しい日が多くありますが、今から半世紀前に書かれたこの時代を思うと、なぜか今より遥かにゆっくりと時間が流れていて、家族のぬくもり,安らぎなどが色濃く存在していたように思えます。今は便利で何もかもがスピーディーで、また失くしてもすぐに代わりが手に入れられるために、一つの物事を大切にじっくり取り扱う必要がなくなってきました。しかし、実際はそうではありません。子どもは親が温かく急がず見守ることで、まず自分自身を大切に思えるようになります。そして温かな家庭の中でこそ養われる心の平安、人を信じる心、感謝の心が、やがてもっと大きな人を愛する心や許す心を育むことになり、すぐに目には見えなくても、いつしか大きく弾力をもった強い人間性を培う源となるのです。特に子どもの小さな時期には毎日手がかかり、目を離すわけにもいかず、子育てに追われる大忙しが現実の日々であります。つい我が子には大人が親自身のストレスを発散させやすいためか、世間では幼児虐待や理解不可能な悲惨な事件が毎日のように起こっています。本当に産みの親なのかどうかを疑ってしまう有様で、それはまさに猫の子育てにも劣る事態です。

子どもを育てる個々の家庭には、純粋に輝く瞳をもつ我が子の心を、大切に守り育てていく使命があると思います。無事、また今日も夕食の団欒の時間を家族揃って過ごせることが家庭を持つ幸せであると感じられたなら、人間として子を持つ親として、あまり多くを望むことはきっと少なくなるように思います。後で振り返れば思い出に包まれた子育ての時期は、あっという間に過ぎてしまいます。また、生きているとさまざまな試練が次々に目の前に現れますが、その一つ一つを決しておろそかにせず、小さなことにも感動し、子どもとともに感謝できる日々を過ごしていければと思います。

文章/Ikuko先生 (2007.1)

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