わたしは、かなり以前に『保父』という本を出したことがありますが、まだ当時は保父という言葉が、一般に使われていませんでしたので、本の題名そのものについて、まず、いろんな質問を受けました。
「これは、『保』護者の『父』親の保父で、父親も教育に参加しろという内容の本ですか?」とか、「『保』土ヶ谷と秩『父』で、地理の本でしょう」などと、質問される方の発想のユニークさを、秘(ひそ)かに楽しませて貰ったものでした。
わたしはある事情で、当初は考えても見なかった幼児教育の世界に身を投ずることとなったのですが、そのころ幼稚園において、幼児と泥まみれ汗まみれになって遊ぶのを専門職とする、二〇代前半の若い男の先生というのは、極めて珍しい存在でして、少なくとも、男の生業というふうには見られていませんでした。
わたしも初めはほんの腰掛けのつもりで、この仕事を手伝っていたのですが、幼児たちと一年、二年と生活するうちに、これは素晴らしい仕事だ。男仕事として一生を捧げるに値する仕事だ。と思うようになり、他に抱いていた将来への夢をきれいさっぱり捨てまして、この仕事に専念する気持ちを固めたようなことでした。
手伝い始めて一〇年経って園長を命じられたのを機会に、今までの、幼児との生活の中でのさまざまの思いや体験を本に纏めてはどうだろう、というお話をいただきました。そこで誠にささやかながら、なんとか本らしく恰好をつけまして、さて最後は、肝心の書名を決める段取りとなりました。
今でこそ、幼稚園の先生のことを幼稚園教諭と呼称し、保育園の先生のことを保母さんと呼んでいますが、当時は幼稚園の先生に対しても保母さんという表現を用いていました。自分は、いってみれば男の保母だから、保父である。
そこで、なんのためらいもなく、『保父』と書名が決まりました。
いまではワープロのキイを叩いても即座に「保父」の語を打ち出すことが出来ますが、その頃はいかなる辞書にも見られない新語だったのです。いわば保父の単語の産みの親は、実はこのわたしだったというわけです。
わたしは、わたしの「生涯保父」を目指すこころの支えとして、この二文字を大切にしたい。
その思いを今もなおかき立てながら、「老保父」として子どもたちと手を取りあって、楽しい人生を送らせていただいている今日この頃です。
以下、「保父誕生」は、そのわたしの自分史です。
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