『親子の語らいを大切に』――絵本通信

家庭の絵本タイムは親子の大切な思い出になります。できれば愛着のある絵本を子どもが大きくなるまで大事に残してほしいと思います。私は今でも『こんとあき』(福音館書店、林明子作)を手にするたび、小さかった頃の娘の言葉が聞こえてきます。砂丘村で砂に埋もれたコンを呼び続けるアキちゃんに、一生懸命「ここにいるよ」と絵の中を指さしていた娘の姿を思い出します。『ガンピーさんのドライブ』を描いたジョン・バーニンガム氏の『ねえ、どれがいい? 』(評論社)も楽しい絵本でした。愉快なイラストと奇想天外な四択問題をきっかけとして、親子の語らいが盛り上がること請け合いです。

同じ絵を見て、親子で喜怒哀楽を共有できる経験は貴重です。語らいのきっかけは絵本に限りません。一緒に絵を描くことや、歌を歌うことも楽しい経験になります。親が楽しいと思えばこそ、その経験は子どもの心に残ると思います。それが心に残ることで、子どもは社会に出て元気よく活躍できると信じます。

今「語らい」という言葉を使いましたが、これは「語り合い」のことであり、音楽で言えば合唱のようなものです。親が子どもから何かを聞きだそうと尋問してはいけません。でないと「うちの子は(園であったことを)何も話してくれません。」となります。子どもの言葉に静かに耳を傾けることと、親も自分の気持ちを普通に語ることが語り合いの基本です。これは難しいことではなく、親子で「いっしょに」何かに取り組んだり、「いっしょに」時間を過ごせば自然と語り合いは生まれます。竹馬を一緒に取り組みながら「がんばれ」と励ましたり、「こうしたらもっとうまくいくよ。」と言葉をかけるのもその一例です。

「語らい」という言葉を使うと、何かを「話さねばならない」気がして、少し気遅れするかもしれません。特に父親にとって「語らい」という言葉は、照れくさく聞こえるかも知れません。しかし「沈黙の語らい」もあることをここで強調したいと思います。私は娘が幼稚園時代、「レゴで高い塔をつくろう!」と提案して、二人で黙々とブロック積みに取り組んだことを思い出します。「二人で」「黙々と」というところがポイントです。できあがったらそれで終わりではありません。子どもは必ず母親に「見に来てー」と呼びに行きます。そこに「うゎー、すごい!」と絶妙の合いの手が入ることにより、家族で楽しい「語らい」を経験できることになります。テレビやビデオ、ゲームといった電気仕掛けの取り組みではなかなかこうはいきません。

私の幼少時を振り返りましても、家庭がいつも「語らい」に満ちていたことを思い出します。素話が得意な父は、風呂の中で必ず何か話をしてくれました。小学校に入学すると、今度は私が親に本を読む経験が始まりました。学校の教科書を親の前で音読するというわけです。小学校の6年間、教科書を音読してから学校に行くのが日課でした。一度読み通すのに5分もかかりません。でも、「あたりまえのことをあたりまえのように続けることが大事なのだ」と父は口癖のように言いました。比叡山延暦寺の「不滅の法灯」(1200年にわたって途絶えることなく守り続けられている法灯)という言葉も、このとき教わった言葉です。

絵本を読む時間だけが親子の語らいの時間ではなく、言葉をじかに交わしている時間だけがそれに当たるのでもありません。今の自分をふりかえりましても、「こんなとき父ならどうするかな?」と真剣に考え、答えを模索するとき、父との語らいは立派に成立していると感じます。

その基礎となる経験を幼少時にどれだけ経験できるのか。後になって過去に戻ることはできないだけに、子どもの小さい今こそ、皆様にその大切さをかみしめていただきたいと願っています。絵本は大切な「親子の語らい」のきっかけを与えてくれます。毎月の絵本通信を通し、このメッセージが少しでも皆様のもとに届いたなら幸いに存じます。子どもたちの本当の幸せのために、私たちに出来ることは、いつも身近な「あたりまえ」の事の中にあるのだと信じています。

(2006年2月 山下太郎)

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