たまたまにゆだねる

たまたま今年の桜の開花は例年より早かったです。

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人事を尽くして天命を待つという言葉があります。

この言葉の逆を行くとき、すなわち、天命を待たず人事の限りを尽くすとき、心がしんどくなります。

私は「天命」という言葉の代わりに「たまたま」という表現を用いたいです。

うまくいったのも、いかなかったのも「たまたま」と考えてはどうでしょうか。

こういうと、日頃うまくいっている人には、人生は「たまたま」では切り開けない、すべては自分の努力の結果だと反論されます。

しかし、うまくいかなかったときどうなるでしょうか。それも自分の努力不足のせいである、だからもっと努力するのだと。あるいは周囲に足を引っ張る原因を探すかもしれません。しかし原因探しはすべて徒労に終わります。

受験の場合は自分で弱点を見つけ、努力である程度それを克服することができますが、人生は受験勉強のように単純ではありません。

とりわけ子育てに関していえば、がんばる意識はほどほどでちょうどです。

小さいと言え、子どもには子どもの人格があるからです。

子どもの身になって考えてみてください。自分の一挙手一投足を親によって「成功、失敗」で評価され、その都度一喜一憂されるという図式は嬉しくありません。

小さいながら心でつぶやいているでしょう、「自分は自分だ」と。

そして実際子どものやることなすことは、失敗の連続です。それは大人と異なり、失敗を恐れないからです。

その失敗を挑戦の結果と見ないで、未熟ゆえの失敗であると考えることは自然ですが、その結果「もっと言って聞かせないといけない」、「自分のしつけの失敗だ」と考えるのは行き過ぎです。

私は幸いなことにこれまで努力しない母親を見たことがありません。

だからこそあえて申し上げたいのです、「人事を尽くして天命を待つ」と。

平たく言えば、「やるだけやっているのだ。あとは野となれ山となれ」と物事を受け止めて下さい、ということです。

ふりかれば自分の人生そのものが「たまたま」の連続です。

就職も結婚も例外ではありません。考えぬいて仕事を選んだ、あるいは伴侶を選んだという人も、頭で考えるだけでは合格やゴールインは得られません。つきつめれば「努力」プラス「運」です。人間はとくに成功経験のある人ほど「運」の要素を忘れがちです。

しかし、天の眼から見れば、すべては「たまたま」であり、「運命の采配」の下に置かれています。

失敗と思ったことが後から振り返ると「あれでよかった」と思える例、あるいはその逆の例は枚挙にいとまがありません。

一言で言えば、「人間万事塞翁が馬」ということであり、この言葉も、一言で言えば「たまたまにゆだねなさい」となると思います。

授かった子どもとの出会い、授かった子どもの個性も天の粋なはからいであると思えばよいのではないでしょうか。

(2016年3月24日)

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