『歯と眼と』―子どもに教えられる

幸子ちゃんと福子ちゃんは、一卵性の双生児です。彼女らの名前には、二人そろって”幸福な人生”を送ってほしいとの親の願いが込められているようです。

さてこの幸福姉妹、はじめ4才児で入園してきた当座は、二人の区別はまったく付きかねました。顔つき、声付き、身体つきのすべてが瓜二つなのは勿論ですが、着ているもの、履いているもの、それにおリボンの色や結び方まで、寸分違わず統一されているのですから、先生泣かせもいいところです。

それでも、一と月二た月たつうちに、二人がいっしょにいるときには、ほんのちょっとした物腰や性格の違いなどから、おおよその見分けはつくようになりました。でも困るのは、二人が別々にいるときです。比較の目安がありませんから、よほど気をつけませんと、

「せんせい、ちがうやん、わたし、ふくこ!」

と、お叱りを蒙ります。すでに小さい頃から呼ばれ違いに慣れているとはいえ、やはりなんとなく淋しそうです。

これでは先生失格と、わたしは決定的な決め手を見つけるために、それとなく二人の観察をつづけております内に、意外も意外、じつに簡単なところに相違点のあることに気がつきました。

それは、歯です。幸子ちゃんのは、上の一本の乳歯が白い歯並びからすでにこぼれ落ちています。いっぽう、福子ちゃんの方には、まだ一本も抜けた痕跡が認められません。それからのわたしは、いかなる時でも百発百中、内心いささか得意顔でおりました。

ところがある朝のこと。幸福姉妹はいつもなら近所のやよいちゃんと三人連れ立って登園してくるのに、その日は姉妹のうちの一人の姿が見えません。その一人が誰なのかを見極めるために、

「おはよう。」

と声をかけてから、

「おはようございます。」

と開いてくれた姉妹のひとりの歯並びに、それとなく眼をやってから、

「今日は幸子ちゃん、お休みなのね。お風邪?」

と、心持ち得意げに福子ちゃんに声をかけました。それは、まったくほんの瞬間の動作のつもりでした。しかしやよいちゃんは、私の目使いをすばやく見咎めると、

「せんせえ、そんなことせんかてな、さちこちゃんか、ふくこちゃんか、ぱっとみただけで、ちゃんと、わかるえ。」

と言いました。おっとりとした口調ですが、自信に満ちた表情です。わたしは、どきっとしながら、

「どこが違うの?教えて。」

と、4才児を相手に、真剣に教えを請いました。やよいちゃん、涼しい顔でいいました。

「めえ(眼)や。」

「眼ね。眼のどこが違うの?」

「それはわからへん。そやけど、みただけで、わかるんや。」

歯のあるなしという、形から入っていこうとしたわたしに比べて、”眼はこころの窓”と申しますが、小さいときからの遊び友達とはいえこの幼いやよいちゃんが、一人一人のこころをしっかりと掴んでいるのです。屈辱感で、頭の上らないわたしに、

「せんせえ、しんぱいせんかて、なれたら、だんだんわかるえ。」

やよいちゃんは、慰め顔にそういってにっこり笑うと、福子ちゃんと手をつないで、自分たちのお部屋の方へ駆けていきました。

遅まきながら、”歯並び鑑別法”を脱却したわたしの、二人を”眼で見分ける”トレーニングは、ようやくその日から始まったのでした。

これは、20代のころの恥ずかしい思い出の一こまです。

山下一郎「遺稿集」より

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